カムバック賞(Comeback Player of the year)


National League


ジョー・モーガン(Joe Morgan)右投げ左打ち


ジョー・モーガン Joe Leonard Morgan
1943.9.19生まれ テキサス州ボナム出身

入団したのは、ヒューストン・コルト45’s。

俊足強打の二塁手としてすぐに昇格する。

65年の95四球で1位になって以来、最多四球4回、100四球以上
8回という選球眼ももちあわせていました。

本領を発揮したのが、72年のシンシナチ・レッズ移籍以降で
「ビッグ・レッド・マシン」の主軸として、1975年には打率.327(4位)、
17本塁打、94打点、出塁率。471(1位)でリーグMVPに。

ワールドシリーズでも第3戦のサヨナラ打、第7戦の決勝打と勝負強さを
見せつけた。

翌76年も打率.320、27本塁打、111打点、60盗塁、113得点で
2年連続のMVPを獲得し、ワールドシリーズも制し、2年連続の世界一で
モーガンは「レッズに優勝を運んだ男」と賞賛された。

80年にアストロズへ復帰すると球団を初の優勝に導き、
81年にジャイアンツへ移籍。
82年には、「キャンドルスティックの奇跡」といわれた
ナ・リーグ西地区のデッドヒートを演じさせた。

その82年は、39歳ながら打率.289、14本塁打、61打点、24盗塁。
40歳の来季も現役を続ける「リトル・ジョー」である。

American League


アンドレ・ソーントン(Andre Thorntonn)右投げ右打ち


アンドレ・ソーントン Andre Thornton
1949.8.13生まれ アラバマ州タスケギー出身

1967年ドラフト外でカブスに入団。

エクスポスを経て77年にインディアンスへ移籍。

その年、打率.263、28本塁打、70打点をマークして
定位置を確保した。

だが、そのオフに交通事故で妻と娘を同時に亡くすという
悲劇に遭ってしまった。

それでも、翌78年に打率.262、33本塁打、105打点をあげて
立ち直った。
79年も26本塁打、93打点で主砲の座についた。

だが、80年ヒザの手術に失敗し、全休。
81年は、春のオープン戦でケガをしてしまい、69試合の出場のみ。

82年の今季は、161試合に出場して、打率.273、32本塁打、116打点
で見事に大復活をとげた。

ダニー・トンプソン賞とフレッド・ハッチンソン賞に選ばれたソーントンは、
人格者として知られ、79年には、ロベルト・クレメンテ賞にも選ばれている。

数々の悲運を乗り越えてきた男の栄光はこれからである。


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