Rick Sutcliffe(リック・サトクリフ) 右投げ左打ち
クリーブランド・インディアンス
防御率 | 勝 | 負 | 試合 | 投球回 | 完投 | 安打 | 四球 | 三振 | 完封 |
2.96 | 14 | 8 | 34 | 216 | 6 | 174 | 98 | 142 | 1 |
1956年6月21日生まれ、ミズーリ州インディペンデンスの出身である。
身長2m、体重100kg近い大型の投手で、1979年にドラフト1位でドジャースに
入団した。
この年のドジャースはエースのT・ジョンがフリーエージェントとなり、ヤンキースと
契約して抜けたため、投手陣が不安視されていた。さらに若手のB・ウエルチも故障
してしまい、台所はまさに火の車状態で、シーズン途中には最下位まで落ちてしまう。
そこで球団は、当初リリーフだったサトクリフをローテーションに入れた。これが大誤算(?)の
大活躍で、242イニングを投げ、17勝、防御率3.46で見事に新人王に輝いた。
結局、チーム自体は3位だったが、サトクリフがいなければもっと下位に落ちていたかも
しれなかった。
しかし、(思わぬ)活躍をしたのは、この年だけで、翌80年はわずかに3勝、81年も2勝と
不振だったため、球団は見切りをつけ、インディアンスへトレードしてしまう。
しかも、インデアンス側の狙いは、二塁手のJ・パーコンテでサトクリフはおまけだった。
トレードされた82年は、自分を必要としないといったT・ラソーダ監督への恨みを込めたか
新人時代のように投げまくり、216イニング、14勝で防御率2.96で見事に最優秀防御率の
タイトルを手に入れた。
周囲では、「彼は、何度も防御率のタイトルをとれる素材だ。投げるのが好きで、放っておいたら
一日置きに登板する。先発のかたわら、志願してブルペンに行く男だから・・・。」と評価する
「5年か10年たって、僕をトレードしたのは、失敗だったとドジャースの連中にいわせたい」と
サトクリフは燃えている。
防御率 | 勝 | 負 | 試合 | 投球回 | 完投 | 安打 | 四球 | 三振 | 完封 |
2.40 | 19 | 8 | 35 | 277 | 14 | 245 | 65 | 179 | 4 |
1982年までの通算成績が133勝121敗。過去5年間の防御率は、2.81でリーグ第1位。
極端にいいシーズンもなければ、悪いシーズンもないというもっとも安定した投手である。
まだ20勝したシーズンはない。
1949年、ミズーリ州ジェファーソンシティに、歯科医の息子として生まれる。71年のドラフト1位
でエクスポスに入団する。
73年に昇格して、7つの球種を使い分けて10勝5敗、防御率1.54の成績で注目を集める。
しかし、チームは’69年に創設したばかりの弱小チームで74〜76年までは合計33勝51敗と
負け越してしまった。
だが、77年の17勝、206奪三振(3位)と復活し、以降82年まで6年連続12勝以上の勝ち越し
で、チームの方も名将D・ウイリアムスのもとで急激に強くなり、79年以降はコンテンダー
(優勝を争えるチーム)となった。
81年は、フィリーズとの地区プレーオフで左腕S・カールトンと2度投げあい、2勝してチーム
初の地区優勝に貢献した。しかし、ドジャースとのリーグ・プレーオフ最終戦でR・マンデイに
決勝本塁打を打たれて、ワールド・シリーズ出場の夢は絶たれた。
今年のオールスターゲームは地元のカナダで初めて開催されたが、名誉ある先発の
マウンドを踏んだ。
今年は、277イニングを投げ、防御率2.40でみごと1位となったが、勝星は19で
またしても20勝到達はならなかった。
チームメイトからは、”サイ”と呼ばれる彼の夢はやはり20勝して、
名実ともに”サイ・ヤング”賞投手になることであろう。
★メジャーリーグッズ!
サイヤング賞2回、最多勝5回の90年代屈指の左腕。
300勝は果たして達成なるか?
オススメ度★★★
サイヤング賞5回、最多奪三振8回、最優秀防御率4回の「ビッグ・ユニット」です。
今季はパ−フェクトまで。。。衰えを知りません。
サプライズ。オススメ度★★★★