大リーグで3番目のドーム球場「メトロ・ドーム」が開場した
記念の年だったが、高給選手を次々に放出してしまった。
ロースター25人の総年棒は200万ドルで
メッツに移籍したジョージ・フォスター一人分でした。
3Aのチームが1チームだけ紛れ込んでしまったようだった。
前半戦は負け、負け、負け、負け、勝ち、負け。。。。というパターンで
5月18日に6連敗を免れた途端に、翌日から球団新記録の14連敗。
それでも、オーナーのグリフィスは「夏頃にはよくなるよ」と言っていた。
その言葉通りに6月23日から8月3日まで21勝15敗で、
西地区トップの成績をマークして、オールスター以降32勝43敗と
なんとか形をつくった。
これぞ投壊の見本のような投手陣で、チーム防御率は大リーグ最低の4.72。
その中でボビー・カスティーヨが13勝、3.66、ブラッド・ヘブンスが10勝、4.31
抑えのロン・デービスが3勝22セーブの3人がなんとかというところ。
エースになるべきピート・レッドファーンが5勝11敗 6.58では。。。。
しかし、打撃陣からはイキのいい新人が飛び出した。
開幕から4番に座り23試合連続安打も記録したケント・ハーベック。
22歳の若者は打率.301、23本塁打、92打点で地元出身のヒーローに。
エンジェルスのマイナーから移籍したトム・ブラナンスキーが
打率.272、20本塁打、46打点と長打力を発揮。
この二人にゲーリー・ウォード(.289、28本塁打、91打点)と
ゲーリー・ガイエティ(.230、25本塁打、84打点)の
4人が大リーグ クラスといえました。
打つことは打っても盗塁数38で、
これも大リーグ最低でチーム打率.257(リーグ10位)で機動力なしでは
得点を重ねることは難しいはずである。
出場した32人中、新人が16人という史上初のチームでは
新球場の開場年といえ、観客動員が100万人に届かなかったのも仕方がなかった。
★タイトルホルダー
なし
★月間MVP
なし
★月間MVP投手
なし
★週間MVP
6月28日ー7月4日 ゲーリー・ウォード 打率.400 4本塁打 12打点 長打率1.080
9月6日ー12日 ゲーリー・ウォード 打率.407 3本塁打 9打点
★オールスター
ケント・ハーベック
★ゴールドグラブ
なし
★クラブハイ&ロウ
1試合最多本塁打ー両チーム合計=8
デトロイト(4)vsミネソタ(4) 5月16日
最多連敗=14
5月19日ー6月2日
★Retired Uniform Numbers(永久欠番)
3 Harmon kilebrew(ハーモン・キルブリュー)
1901年ー1982年
6002勝6578敗 .477
<記録 きろく キロク>
●新人のハーベックは、打率.301でリーグ13位に。
4月17日から5月13日にかけて23試合連続安打。
これは、1943年のカートライトがつくった新人記録にあと3試合というものでした。
また、ブルナンスキーも20本塁打のうち、2本がランニング本塁打。
7月19日には今季両リーグで唯一のランニング満塁本塁打を記録しました。
★何事も続けることは難しいですよ。
●テリー・フェルトンは0勝13敗。
新人だった80年から数えて16連敗の“怪記録”。
確かに不運もあった。
5月29日はリリーフがリードを守れず、
8月15日は5回まで1ー0でリードしていたものの
自らのエラーで逆転負け。
しかし、4月25日、5月14日、6月27日はいずれもサヨナラ本塁打で敗戦でした。
★白星は自分でつかむもの!
<ベストオーダー> <スターター> <ブルペン>
中 ボビー・ミッチェル ボビー・カスティーヨ ロン・デービス
二 ロン・ワシントン ジャック・オコーナー
右 トム・ブルナンスキー ブラッド・ヘブンス
一 ケント・ハーベック テリー・フェルトン
左 ゲーリー・ウォード フランク・バイオーラ
三 ゲーリー・ガイエティ ピート・レッドファーン
捕 ティム・ラードナー
指 ミッキー・ハッチャー
遊 ジョン・カスティーノ
★ツイングッズ!
この年は前代未聞のチームでも
1900年ア・リーグ創設時のワシントン・セネタースが前身です。
1961年にミネソタ・ツインズになりました。
歴史のある球団です。
オススメ度★★★
ミネアポリス市とセントポール市は、ミシシッピー川をはさんで並んでいて
ツインシティと呼ばれているところからツインズと命名されました。
「双子たち」ということです。オススメ度★★★★
現在のツインズのスターは、このハンター。
93年ドラフト1位で入団。めちゃくちゃ広い守備範囲、
フェンス際でのスーパーキャッチは絶品です。
2001年からは打撃でも才能を発揮しはじめました。
かなりオススメ度★★★★