The All Century Team



大リーグ100年の歴史上において活躍した人々の中から
選び抜かれた「The All−Century Team」メンバー達。




Roger Clemens(ロジャー・クレメンス)





William Roger Clenens
1962年8月4日〜
オハイオ州デイトン出身




史上最多7度のサイヤング賞に輝いた「ロケット」。
当時現役投手で唯一選ばれた。


1983年のドラフトでボストン・レッドソックスから1巡目(全体19位)指名され入団。
84年5月15日に大リーグデビューを果たした。
この年は9勝4敗、防御率4.32で、新人王の投票で6位。

85年は肩の故障により15試合のみの登板。

86年は、4月29日にフェンウェイ・パークでのシアトル・マリナーズ戦で、
史上初の9回で20奪三振を記録。
この記録はケリー・ウッドとランディ・ジョンソンがタイ記録を作った。
この年は、24勝4敗、防御率2.48で最多勝と最優秀防御率を獲得、
先発投手としては71年にバイダ・ブルーが受賞して以来2人目の、アメリカン・リーグMVPを受賞、
さらに自身初のサイ・ヤング賞を満票で受賞した。

87年は、20勝9敗で、2度目のサイ・ヤング賞を受賞。
88年には球団新記録となるシーズン291奪三振を記録。
90年には21勝6敗、防御率1.93、209三振を記録、
奪三振の通算記録でサイ・ヤングの1341を上回り球団記録となった。

96年12月13日、4年総額4,000万ドルでトロント・ブルージェイズへ移籍。
この年は、21勝7敗、防御率2.05、292奪三振、
97年は、20勝6敗、防御率2.65、271奪三振で2年連続3部門でリーグ1位。

98年オフにトレードでニューヨーク・ヤンキースに移籍。
99年、MLBオールセンチュリー・チームに唯一現役投手として選出された。

2001年、20勝3敗で、自身6度目のサイ・ヤング賞を受賞した。

03年の序盤にシーズン後の引退を発表。
同年7月13日のヤンキー・スタジアムでのセントルイス・カージナルス戦で
300勝と4000奪三振をエドガー・レンテリアから奪い、この2つの記録を
同一試合で達成した唯一の選手となった。

04年に引退を撤回し、ヒューストン・アストロズへ移籍。
5月5日には4137個目の三振を奪い、カールトンを抜き去り
歴代最多奪三振でライアンに次ぐ2位に。
この年18勝4敗で、歴代最多の7度目、最年長(42歳)、
最多球団(4球団)でのサイ・ヤング賞受賞を達成。
両リーグでサイ・ヤング賞を受賞したのはゲイロード・ペリー、
ペドロ・マルティネス、ジョンソンに並ぶ歴代4人目となった。

05年は、13勝8敗、防御率1.87で最優秀防御率のタイトルを獲得。

06年は、5月31日にアストロズで現役を続行することが決まり、
1年で2,200万22ドル(約24億8,000万円)もの巨額の契約を結んだ。
7勝6敗、防御率2.30をマークした。

07年5月6日のヤンキースvsマリナーズ戦のセブンスイニングストレッチ中に、
自らマイクを取ってヤンキースとマイナー契約をしたことを電撃的に表明した。
6月9日のパイレーツ戦にて復帰登板、6回を7奪三振3失点で勝利。
7月2日のミネソタ・ツインズ戦で8回を1失点で通算350勝(史上8人目、
1963年のウォーレン・スパーン以来44年ぶり)を達成した。

07年シーズン終了後FAとなり、以降は所属球団がない状態となっているが、
事実上は引退した形となっている。
(ステロイド使用の疑惑の渦中にもあるが)


通算成績
709試合 707先発 118完投 46完封 354勝184敗 
4916.2回 4672奪三振 1580四球 防御率3.12=24年

タイトル
最多勝4回(1986,87,97,98年)、
最優秀防御率7回(1986,90,91,92,97,98,2005年)、
最多奪三振5回(1988,91,96,97,98年)
アメリカン・リーグ サイヤング賞6回(1986,87,91,97,98,2001年)
ナショナル・リーグ サイヤング賞1回(2004年)
アメリカン・リーグ MVP1回(1986年)