1976年のワールドシリーズ。対戦相手のヤンキースのサーマン・マンソン捕手と
どちらが上かと質問を受けたスパーキー・アンダーソン監督は、こう言い放った。
「ベンチと比較したりして、他のキャッチヤーをはずかしめたりはしたくないね」と。
1947年12月7日、オクラホマの片田舎で生まれた彼は、小さい頃からベースボール少年
だった。いつも年長者ばかりを相手にしていて、14歳の時にはすでに大人を相手にキャッチヤーを
していたというのだから驚きだ。この時からキャッチヤーに必要な要素を養っていたのだろう。
この天才ベースボール少年はたちまちスカウトの目に止まり、レッズのA級のタンパと契約する。
2年後の1967年大リーグに初昇格。
翌68年、打率.275、15HR、82打点で新人王を獲得。
'70年には、23歳にして打率.293、45HR,148打点(すごい!)で2冠に輝き、
MVPを受賞した。
ベンチの評価を一気に高めたのは、『片手捕り』である。
もともと鉄砲肩でありながら、二塁送球をより早くするために当時としては画期的といえる
新技術を開発した。
75年(レッドソックスに4勝3敗)、76年(前出のヤンキースに4勝無敗)とワールド
シリーズ2連覇を達成した。
ピート・ローズ(通算安打数4256本)、トム・シーバー(通算勝利数311勝、通算奪三振
3640)らと形成した「ビッグ・レッド・マシン」の全盛期においても、他のビッグネーム
を従えて、打線では不動の4番打者として、守りでも要の捕手として、まさしく中核として
働いた。
晩年は、守備の負担を軽くするために一塁や三塁を守ったが、しっくりこず成績は下降線を
たどった。
1983年に35歳で惜しまれながら引退したが、デビュー以降レッズ一筋17年だった。
近代捕手のno1は?というとき、必ずジョニー・ベンチの名前が出てくることはまちがい
ないはずである。
<通算成績>
2158試合 7658打数 2048安打 381二塁打 24三塁打 389本塁打
1376打点 1091得点 68盗塁 891四球 1278三振 通算打率.267
新人王 1回(68年)
本塁打王 2回(70年、72年)
打点王 3回(70年、72年、74年)
ゴールドグラブ 10回(68年〜77年)
オールスター 14回(68年〜80年、83年)
MVP 2回(70年、72年)
1989年 野球殿堂入り