今日の大リーグで「最高のレフティ」といえば、間違いなくスティーブ・カールトンの
名前があがるだろう。
1944年12月22日、フロリダ州マイアミ生まれ。
’64年にプロ入りし、翌65年には早くもカージナルスに昇格した。
順調に勝ち星をあげたが、ひと口でいえば単調な投球が多かった。
’68年はチームはワールドシリーズに出場したが、カールトン自身は活躍することが出来ず
ここで自分の投球について考え始める。
結論としては、速球とカーブ以外の新しい球種を覚えることだった。
そのヒントは、ワールドシリーズ終了後の日本遠征にあった。
当時、東京オリオンズ(現ロッテ)のエースだった成田文男投手の投げるボールに興味をもった。
これが、後に『伝家の宝刀』となるスライダーだった。
翌69年のスプリング・キャンプで女房役のティム・マッカーバー捕手とともに『新球』に磨きをかける。
その年の9月15日にすごいことが起こった。
対ニューヨーク・メッツ戦。
この試合は雨で開始が26分も遅れたうえ、1回が終わると再び56分間中断する悪条件、
さらに、試合前から背中に痛みを感じていたカールトンは、鎮痛剤を服用しての登板だった。
試合展開は、8回までに2ランホームランを2本打たれるなどだったが、な、な、なんと
16個もの三振を奪っていた。
当時の一試合の最多奪三振は18個で、新記録のために9回もマウンドにあがるカールトン。
先頭打者は、相手メッツの抑え投手のタグ・マグロー。まずは速球で三振!に仕留め、17個目。
次打者のバド・ハレルソンも内角の速球で三振!。記録に並ぶ18個目。
そして、いよいよ最後の打者を迎える。
エイモス・オーティス。走攻守3拍子揃った好打者だ。
カウント2−2から『伝家の宝刀』のスライダーで空振り三振!新記録の19個目ー!
ちなみに、最後の19個目はショートバウンドになり、捕手のマッカーバーから一塁の
ジョー・トーレ(現ヤンキース監督)に送球されて決まったが、試合後にトーレは
「マッカーバーが私に送球しなければ、20奪三振のチャンスがあったのに・・・。」と話したそうだ。
結局、この年、17勝をあげ、防御率2.17という成績をおさめた。
’71年に自身初の20勝をあげるが、オフに契約でもめて、当時大リーグ最低球団のフィリーズに
トレードされてしまう。
だが、移籍した72年は歴史的なシーズンとなる。
27勝、防御率1.97、奪三振310、30完投、投球回346.1回の5部門で1位になりサイヤング賞を
受賞。チームの勝利数が59勝だけで半数近くを一人で稼いだことになる。
翌73年は前年の疲労のせいか、10勝20敗。とたんにマスコミの集中攻撃を浴びることとなる。
これが引き金となってマスコミに対して「無口」になってしまった。以降、79年7月5日付の記事を
最後に記者会見に応じなかった。
77年に23勝(1位)で2度目のサイヤング賞、80年も24勝(1位)、286奪三振(1位)で3度目。
80年はワールドシリーズで2勝をあげて、世界一に貢献した。
82年もリーグ最多の23勝と286奪三振で4度目のサイヤング賞。(この時点で史上最多)
40歳を過ぎてからは、急激に衰え最後の3年間で5球団を渡り歩いた。
通算で20勝を6回、200奪三振を8回、329勝は左腕としてはウォーレン・スパーンに次いで
2位という、輝かしい球歴を持った「サイレント・カールトン」だった。
カージナルス(1965〜71)ーフィリーズ(72〜86)ージャイアンツ(86)ー
ホワイトソックス(86)ーインディアンス(87)ーツインズ(87〜88)=24年
【通算成績】
741試合 709先発 254完投 55完封 329勝244敗 2セーブ 5217.1回
4136奪三振 1833四球 防御率3.22
【タイトル】
サイヤング賞4回(72,77,80,82年) 最多勝4回(72,77,80,82年)
最多奪三振5回(72,74,80,82,83年) 最優秀防御率1回(72年)
ゴールドグラブ賞1回(81年)
1994年野球殿堂入り