夏の少年たちが帰ってきた 


「第一回クラッカージャック・オールド・タイマーズ・クラシック」が7月24日
ワシントンのロバート・ケネディ・スタジアムで行われた。

これまで、オールド・タイマーズ・ゲーム、つまりかつてのスターたちによる試合は
各球団のアトラクションとして、公式戦の試合前に行われてきた。しかし、これが
スケールをひろげ、独立したイベントとして開催されたのは、はじめてのことである。

当日は、試合前に豪雨に見舞われたが、観衆は2万9千人を超えた。
なお、スポンサーとなった「クラッカージャック」は、ポップコーンとピーナッツに
カラメルをまぶした、アメリカの子供なら誰でも知っていて、またホットドッグや
ポップコーンと並んで、大リーグの球場ならどこでも売っているお菓子である。

また、開催球場がワシントンというのもヒットだった。ケネディ球場は1962年の
開場以来ワシントン・セネターズの本拠地。それが1971年を最後に、遠くテキサス
レンジャースへ本拠地を移動。以降首都ワシントンには、大リーグがないまま10年
がたっていた。

そこだの開催だけに、ファンも大いに待ちわびていて筈である。
それにしてもよくこれだけのメンバーが集まったものだ。

アメリカン・リーグは、かつてのホワイトソックス、インディアンスの名将アル・ロペス
監督の下、ケーライン、ドビー、B・ロビンソン、フェラー・・・・。
ナショナル・リーグは、ドジャース監督23年のおなじみウォルター・オルストン監督
にひきいられたアーロン、ミュージアル、ブロック、など・・・・

試合は、アが右腕300勝投手のウィン(元インディアンス、ホワイトソックス他)
ナは、左腕投手史上最高スパーン(元ブレーブス他)で始まった。

1回表のナは、ウィンから、まず一番リース遊撃手(元ドジャース)、二番カバレッタ一塁手
(元カブス、1945年の首位打者)、三番ミュージアル左翼手(元カージナルス、首位打者7回)
四番アーロン(元ブレーブス、755本塁打)が4連打して、あっさり1点を先取する。

ところが、五番バンクス三塁手(元カブス、本来は遊撃手、MVP2度)のセンターフライを
アのケーライン中堅手(元タイガース)が捕り、矢のような好返球で走者の生還をはばんだ。
スタンドから大拍手がおこると、ケーラインは帽子をとってニッコリ。大きく外野席に向かって一礼。
ニコリともせずに、けわしい表情でプレーしつづけた現役時代の彼とは大変な違いである。

1回裏のアは先頭アップリング遊撃手(元ホワイトソックス)がスパーンの2球目を左に叩き込み
1−1の同点に追いついた。彼は75歳。アの首位打者に再度なり、現役時代は右打席からの
流し打ちを得意としていたのが、引っ張った一発とあって、ベース一週の間にナの野手たちに
ひやかされることしきりだった。

2回表アは、”カーブ・スペシャリスト”左腕フォード(元ヤンキース)、その裏ナは右腕ロバーツ
(元フィリーズ、6年連続20勝)を送り切り抜ける。

3回表にアで登板したのが、62歳の火の玉投手ボブ・フェラー(元インディアンス)。
かつて、4月の開幕日にノーヒット・ノーランをやり、全盛期は時速160キロは
間違いないといわれた三振奪取王だ。

ナは、その先頭打者にダーク遊撃手(元ブレーブス、ジャイアンツ他)をぶつけてきた。
のちにアスレチックス、パドレス監督などもつとめている男だ。
ダークはナの新人王となった1918年のブレーブス時代に、ワールド・シリーズで
対戦したのがフェラーのインディアンスだった。34年ぶりのイキな対決にオールドファンもわいた。

アーロンはセンターを守り、平凡なフライを落球したが、強烈なライナーを地面すれすれで
キャッチするなど、心臓発作から立ち直った48歳のスーパースター健在を示した。

3回裏からバーデット(元ブレーブス)がナの三番手として登板したが、そのウォーミングアップを
見て、ニヤニヤしながら、言葉きつく文句をつけたのが、昨年8月までエンジェルスの監督
だったフレゴシ遊撃手。バーデットが一球投げるごとに、帽子のツバに手をやったり、額を
なでたりするので「スピットボール?」との抗議だ。現役時代からそういう噂がとんでいたので
それをちゃかしてのゼスチャーだ。

ところが、その2球目を見事にレフトスタンドへ叩き込み、ベース一周のときに
「ヘーイ、バーデット、スピットのつけかたが足らなかったんじゃないか!!」とやった
のには球場全体が大爆笑になった。この回にアは一挙に4点をいれる。

4回の表、アは、ワールドシリーズ史上唯一の完全試合男ドン・ラーセン(元ヤンキース)が
登板したが、二死からマゼロスキー二塁手(元パイレーツ)がレフトへ一発。それも
アリソン左翼手が塀ぎわでいったん追いつきながら、グラブに当ててスタンドイン本塁打。
マゼロスキーは1960年のワールドシリーズ対ヤンキース最終第7戦9回裏、9対9から
サヨナラ本塁打して「シリーズ史上最もドラマチックな本塁打」といわれているだけに
わざと本塁打にしたのでは、という声が出たほどだった。

1938年6月11日と15日の2試合連続ノーヒッターを演じた「ダブル・ノーヒッター」の
左腕バンダミーア(元レッズ)の登板もあり、5イニングスを戦った結果は7対2でアの勝利。

試合終了と同時に両軍ダッグアウトから全選手がフィールドに出て、ファンに大きく手を振った。

日本では珍しい光景ではないが、アメリカではふつう絶対に見られない光景だけに、
大観衆もこれに万雷の拍手で応じた。ともかく、楽しくそして懐かしいプレイバック・シーンだった。