今日の「ちょっと昔のMLB」日記

mlb.comより管理人が勝手に翻訳!
誤訳の嵐か??さて、どんなもんでしょうか?

1961年4月30日

サンフランシスコ・ジャイアンツのウィリー・メイズは、
大リーグ史上9人目となる1試合4本塁打を記録し、
ミルウォーキー・ブレーブスを14−4で破ります。
そして、ファンは、オーランド・セペダとハンク・アーロンの
2本の本塁打も見ることができ、パワースペクタルに立ち会いました。

ウィリー・メイズ

★プチトリビア

ナショナル・リーグでは、ボビー・ロウ、エド・デラハンティ、チャック・クライン
ギル・ホッジス、ジョー・アドコックについで6人目でした。
アメリカン・リーグでは、ルー・ゲーリック、パット・シーレイ、
ロッキー・コラビトの3人でした。

1986年4月29日

ボストン・レッドソックスのロジャー・クレメンスは、
シアトル・マリナーズに3−1で勝利し、大リーグの
9イニングの試合で20奪三振の最初の投手になります。
23歳のクレメンスは、栄誉殿堂入りのスティーブ・カールトン
、 ノーラン・ライアン、そしてトム・シーバーの19奪三振の
記録をやぶりました。

ロジャー・クレメンス

★プチトリビア

3年目のクレメンスは、8連続を含む20奪三振。
さらに開幕から14連勝して、シーズン24勝でMVPと
サイヤング賞をダブル受賞しました。

1961年4月28日

40歳のウォーレン・スパーンは、大リーグ史上2番目の
年長記録となるノーヒッター・ゲームを成し遂げます。
ミルウォーキー・ブレーブスののエースの彼は、1−0で
サンフランシスコ・ジャイアンツに勝ち、通算290勝目をあげ
自身2度目のノーヒッターとなりました。
ベテランサウスポーはこの試合、9奪三振で2四球でした。

ウォーレン・スパーン

★プチトリビア

この時には、41歳でサイ・ヤングがノーヒッターをしていたので
史上2番目だったが、後にノーラン・ライアンが44歳で達成して
3番目となっています。

1983年4月27日

ヒューストンのノーラン・ライアンは、モントリオールの
ブラッド・ミルズから3509個目の三振を奪い、ウォルター・
ジョンソンの56年前の記録を破ります。
シーズン終了時には、スティーブ・カールトンがライアンを
しのいでいますが、ライアンは1993年に引退するまでに
驚くべきキャリア通算5714奪三振を記録しました。

ノーラン・ライアン

★プチトリビア

1983年終了時でカールトンが3709、ライアン3677で
このシーズンだけでいうとカールトンが275、ライアン183だった。
で、当然カールトンが奪三振王でした。

1969年4月26日

野球記録委員会は、ベーブ・ルースの生涯本塁打を
もう一本足して715本であると決定します。
本塁打の一本は、三塁打と記録されているということでしたが
委員会は、後にその決定を覆しバンビーノの生涯合計を
私たちが知っている714本に戻しました。

ベーブ・ルース

★プチトリビア

昔々は、四球が安打とカウントされたこともあったり、
昔の記録は不正確なものが多いようですが。。。。

1967年4月25日

ヤンキースの左腕ホワイティ・フォードが、大リーグでの
最後となる通算236勝目をあげました。
「ザ・チェアーマン・オブ・ザ・ボード(会長)」は、最後の3シーズンは
ふるいませんが、彼の生涯の勝率.690は、200勝以上の投手の
中では今でも最高記録となっています。

ホワイティ・フォード

★プチトリビア

通算236勝106敗で勝率.690は200勝以上で最高記録。
ちなみに70以上の勝ち負けになると、1884年にホス・ラドバーンが
勝率.833(60勝12敗)があります。

1996年4月24日

ミネソタ・ツインズがデトロイト・タイガースに24−11のスコアで勝利した時
ポール・モリターとグレッグ・マイヤーズは共に5得点をマークしました。
これはその日のハイスコアゲームのひとつであり、大リーグ14チームで
合計195点が入り、20世紀での1日のハイスコアを記録しました。

ポール・モリター

★プチトリビア

ミネソタ・ツインズ史上でこの日の24得点が史上最高で
ちなみに1996年はツインズ史上最高打点812も記録となっています。

1999年4月23日

セントルイス・カージナルスのフェルナンド・タティスは、
1イニングに2本の満塁本塁打を放った最初の大リーグ選手となります。
2本の満塁弾は3回にドジャースの右腕チャン・ホ・パクから放ちます。
彼の合計8打点はカージナルスを12−5の勝利に導きました。

フェルナンド・タティス

★プチトリビア

この年、タティスは打率.298、34本塁打、107打点をあげて、
マーク・マグワイヤの後ろの4番をつとめました。

1970年4月22日

殿堂入りの右腕トム・シーバーが、サンディエゴ・パドレス戦で
大リーグ記録となる19奪三振をマークして2−1でメッツを
勝利に導きます。
19奪三振は更新されましたが、10者連続三振はいまだに
大リーグ記録として残っています。

トム・シーバー

★プチトリビア

シーバーの10者連続三振は、6回二死からゲーム・セットまで
続けたもので、最後のアル・フェレイラを空振り三振にしとめて
達成しました。

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すいません!6日分です。

1971年4月21日

ピッツバーグのスラッガー、ウィリー・スタージェルが
11日間で2度目の1試合3本塁打をマークします。
スタージェルはリーグ1位の48本塁打と2位の125打点を
あげて、彼の栄誉殿堂入りにふさわしいキャリアの中で
最も大きいシーズンを送りました。

ウィリー・スタージェル

★プチトリビア

スタージェルが21年間で放った本塁打は475本。
あの広いドジャー・スタジアムで場外弾を2発放り込んだ
唯一の選手です。

1939年4月20日

ボストン・レッドソックスの偉大なテッド・ウィリアムスが
大リーグデビューします。
ヤンキースのエース、レッド・ラフィングに対して
最初の2打席は三振に倒れるが、次の打席で
外野フェンス直撃のニ塁打を放ちます。
「テディー・ボールゲーム(テディーのための試合?)」は、
偉大なルーキーシーズンを送った一人で、打率.327、
31本塁打、145打点で打点王に輝きました。

テッド・ウィリアムス

★プチトリビア

1939年にデビュー以来、1960年に引退するまで、
打率が3割に届かなかったのは、1959年の一度だけ。
(戦争にいった52、53年も規定打席不足ながら4割以上)
通算打率は.344の史上最高の天才打者です。
1943年から45年までの戦争による不出場がなければ。。。

1960年4月19日

愛国者の日のフェンウェイ・パークでロジャー・マリスは、
ニューヨーク・ヤンキースのメンバーとして雄大なデビューを
しました。
彼は2本塁打と4打点でヤンキースを8−4の勝利に導きます。
マリスはシーズンを通してホットな打撃を続け、37本塁打を
上乗せしてアメリカン・リーグMVPに輝きました。

ロジャー・マリス

★プチトリビア

1957年にインディアンスでデビューしたマリスは、58−59年は
アスレチックスに在籍し、60年にヤンキースへ。
60年は39本が2位、112打点と長打率.581が1位でした。

1981年4月18日

インターナショナル・リーグのポータケット・レッドソックスと
ロチェスター・レッドウイングスは、次の日の朝4時7分で
サスペンデッドになるまで32イニングをプレーしました。
この試合は6月23日に再試合となり、レッドソックスが33回の
裏に点をあげて、3−2で勝利しました。
未来の大リーグのスターとなるウェイド・ボッグスとカル・リプケン・Jr
がプレーしていて二人合わせて25打数6安打でした。

カル・リプケン・Jr ウェイド・ボッグス

★プチトリビア

基本的な大リーグのルールでは、ア・リーグは午前1時を過ぎたら
新しいイニングに入りませんが、ナ・リーグには制限時間はありません。

1956年4月17日

ニューヨーク・ヤンキースのミッキー・マントルは、
グリフィス・スタジアムでカミロ・パスカルから
テープ・メジャー・ショットを2本放ちます。
2本とも500フィート(約152m)を越えたと記録されます。
ヤンキースとワシントン・セネタースの両チーム合わせて
6本塁打が出た試合は、10−4でヤンキースが開幕日を
勝利で飾りました。

ミッキー・マントル

★プチトリビア

テープ・メジャー・ショットとは、巻尺で計測しなければならないほど
遠くまで飛んだ本塁打という意味で、この日の1本目は525フィート
(約162m)飛んだと推定されましたが、マントルは420フィート(約142m)
以上飛ばした本塁打を生涯で100本打ったと計算されています。

1940年4月16日

クリーブランド・インディアンスのボブ・フェラーは、
大リーグ史上初で唯一の開幕日ノーヒッターをします。
フェラーはシカゴ・ホワイトソックスのエドガー・スミスを破り、
コミスキー・パークで1−0で勝ちます。
ホワイトソックスのスター、ルーク・アップリングは一つの打席で
15球連続ファールを打ちますが、安打をすることに失敗しました。

ボブ・フェラー

★プチトリビア

当時にスピードガンがあれば、何kmの速さのボールを
投げていたか、というほど速かったそうです。

◆今日の気になった出来事

今季2度目の先発登板に臨んだ大谷翔平(エンゼルス)には
75球前後という球数制限が設けられていた。
結果的には80球を投げて4イニングを無失点に抑えたが、
ストライクは全投球の半分以下となる37球だけ。
スプリッターを武器に被安打1、奪三振7とレンジャーズ打線を
ねじ伏せたものの、与四球6、与死球1で毎回のようにピンチを背負い、
コマンドの面には大きな課題を残した。

1回表の大谷は一死から3連続四球でいきなり満塁のピンチ。
しかし、ニック・ソラックとウィリー・カルフーンを
スプリッターで2者連続三振に仕留め、無失点で切り抜けた。

2回表と3回表に奪った3つの三振もいずれもスプリッターを振らせたもの。
4回表にホゼ・トレビーノから奪った空振り三振は97.5マイル(約156.9キロ)
のフォーシームが決め球となったが、二死1・2塁となったあと、
イサイアー・カイナーファレファを空振り三振に仕留めたのは
またしてもスプリッターだった。

速球は最速97.7マイル(約157.2キロ)、平均95.6マイル(約153.9キロ)を計測。
奪三振7の内訳はスプリッター6、速球1となった。

ジョー・マドン監督は「とてもいい球を投げていたから
たくさんの四球を乗り切ることができた。
今後コマンドが安定していくにつれて長いイニングを投げられるようになるだろう」
と大谷のピッチングを総括。大谷によると、思い通りに投げられたのは
スプリッターだけだったようだが、そのスプリッターは改めて威力を証明した。

エンゼルスは4回までに2点を先行し、その後もマイク・トラウトの5号ソロ、
アルバート・プーホルスの2号ソロ、カート・スズキの1号2ランで
得点を重ねて6対2で勝利。

なお、4イニング以上を投げて7個以上の三振を奪い、6個以上の四球を与えた投手が
無失点で登板を終えるのはメジャー史上初の珍事だった。

★今日のオススメ!


2021 マザーズ・デイ 39THIRTY Flex Hat 2021マザーズデイ仕様のキャップです。
ピンクのロゴでお祝いです!
オススメ度★★★★★(今のうちに!)

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