今日の「ちょっと昔のMLB」日記

mlb.comより管理人が勝手に翻訳!
誤訳の嵐か??さて、どんなもんでしょうか?


すいません!一気です。

1963年9月15日

フェリペ、ヘスス、マティのアルー三兄弟は、
サンフランシスコ・ジャイアンツの外野を初めて一緒に守りました。
13−5でピッツバーグ・パイレーツに勝った試合で、
監督のアルビン・ダークは、先発のウィリー・メイズと
ウィリー・マッコビーを試合から外し、ヘススとマティを
1イニングだけ入れました。

ヘスス、マティ、フェリペのアルー三兄弟

★プチトリビア

長男のフェリペが2101安打、
次男のマッティが1777安打、
三男のヘススが1216安打、
フェリペの息子のモイセスも1987安打と
アルー一族で7000本以上の安打を記録しています。

1968年9月14日

デトロイト・タイガースのデニー・マクレインは、
5−4でオークランド・アスレチックスを破り、
1934年のディジー・ディーン以来の30勝投手となります。
マクレインは、最終的に防御率1.96、31勝6敗で
満場一致でサイヤング賞とアメリカン・リーグMVPを
勝ち取ります。
彼は、今でも1シーズンで30勝した最後の投手です。

デニー・マクレイン

★プチトリビア

翌69年も24勝と9完封がリーグ1位で
2年連続MVPに輝いた。
しかし、それからわずか3年後には、
表舞台から消え去りました。
栄光から挫折を絵に描いたような人です。

1971年9月13日

ボルチモア・オリオールズのフランク・ロビンソンは、
デトロイト・タイガースとのダブルヘッダーの2試合で
本塁打を打ち、史上11人目の500本塁打クラブ入りをしました。
ロビンソンは、オリオールズをアメリカン・リーグのペナントに
導く為に、最終的に28本塁打を放ちました。

フランク・ロビンソン

★プチトリビア

1961年にCINでMVP,66年にBALでMVPとなり、
両リーグでMVPを獲得した最初の選手。
66年には三冠王にも輝いたが、これは黒人初で、
75年からCLEで兼任監督をつとめ、これも黒人初と
大リーグにおける初ものづくし王でもあります。

1979年9月12日

ボストン・レッドソックスのカール・ヤストレムスキーは、
ライバルのニューヨーク・ヤンキースに9−2で勝利した
試合でジム・ビーティーから3000本目の安打を放ちます。
1961年にヤスが新人としてデビューしたフェンウェイ・パークで
マイルストンヒットは、達成されました。
将来、殿堂入りのヤスは、3000本安打と400号本塁打の
両方を達成した、最初のアメリカン・リーグのプレーヤーになりました。

カール・ヤストレムスキー

★プチトリビア

BOSといえば、テッド・ウィリアムスが一番と思われがちだが、
3308試合、11988打数、1816得点、3419安打、5539塁打、
646二塁打、1844打点、1157長打の球団記録保持者がヤスです。

1985年9月11日

シンシナチ・レッズのピート・ローズは、タイ・カッブの
4,191安打という野球の最も有名な記録の一つを破りました。
ローズの新記録の安打は、2−0で勝利した試合で
サンディエゴのエリック・ショーに対して、1回に放ちました。
「チャーリ・ハッスル」は、最終的に4,256安打でキャリアを
終わらせました。

ピート・ローズ

★プチトリビア

ローズは、この他にも出場試合数3562、打席数14053、
年間200安打以上10回、最多単打3215の歴代1位記録保持者ですが、
野球賭博に関わったとして永久追放処分を下され、殿堂入りはしていません。

1974年9月10日

セントルイス・カージナルスのルー・ブロックは、
モーリー・ウィルスが持つシーズン最多盗塁記録に達し、
それを破ります。
フィラデルフィア・フィリーズに8−2で敗れた試合の
1回にタイ記録となる104個目を、7回に105個目を
決めて、記録を抜きました。
将来、殿堂入りのブロックは、その年に118個までのばしました。

ルー・ブロック

★プチトリビア

1979年に40歳で打率.304をマークし、
オフにオールスターチームの一員として来日した。
その時に「日本ハム入りか」という噂が飛び交いました。
結局、入りませんでしたけどね。

1965年9月9日

ロサンジェルス・ドジャースのサンディー・コーファックスが
シカゴ・カブスに対して、パーフェクト・ゲームを達成します。
コーファックスは14奪三振で1−0で勝利し、
4度のノーヒッターを達成した初の投手になります。
四球で出たルー・ジョンソンが、エラーによって生還し、
この試合唯一の得点を5回にあげました。

サンディー・コーファックス

★プチトリビア

62年6月30日のNYM戦、63年5月11日のSF戦、
64年6月4日のPHI戦と3年連続でノーヒッターを達成していて、
この4度目で4年連続となり、最後が完全試合というものでした。

1998年9月8日

セントルイス・カージナルスのマーク・マグワイアは、
シカゴ・カブスのスティーブ・トラクスルからシーズン62本目の
本塁打を放ち、大リーグ史上最も有名な記録の一つを破ります。
皮肉にも、ロジャー・マリスの記録を破った一撃は、
わずか341フィートと計測され、ビック・マックのそのシーズンの最も短い本塁打でした。

マーク・マグワイア

★プチトリビア

ロジャー・マリスが1961年に61本塁打してから
37年ぶりの出来事でしたが、それから3年後の2001年に
バリー・ボンズが73本塁打して記録を塗り変えました。

1911年9月7日

ボストン・ブレーブスの44歳、サイ・ヤングと
フィラデルフィア・フィリーズの驚異の新人、グローバー・
クリーブランド・アレキサンダーが忘れられない対戦をします。
若いアレキサンダーは、1安打投球で1−0で勝利し、
通算で373勝を記録しますが、老いたヤングは511勝のまま
すぐに引退しました。

サイ・ヤング

★プチトリビア

通算では、511勝のヤングは1位、2位がウォルター・ジョンソンの417勝、
3位がアレキサンダーとクリスティー・マシューソンの373勝です。

1995年9月6日

ボルチモアのカル・リプケン・Jrは、殿堂入りのルー・ゲーリックが
保持していた記録を抜く、2131試合目の連続出場を果たします。
オリオールズとカリフォルニア・エンジェルスが歴史的な試合の
4イニングと半分を終わらせた時に公式記録となりました。
22分間の中断の間、カムデン・ヤーズをグルリと一周する
セレモニーを行いました。

カル・リプケン・Jr

★プチトリビア

56年間破られなかった大記録を破ったリプケンは、
1998年9月20日に自ら出場する事を辞めて、記録をストップさせました。

2002年9月5日

テキサス・レンジャースのアレックス・ロドリゲスは、
ボルチモア・オリオールズに11−2で勝った試合で
2本塁打します。
A−Rodは、シーズン2回目の50本塁打を放ち、
大リーグ史上5人目となる、2年連続で大台に乗せました。
前年52本塁打の強打の遊撃手は、2002年は57本塁打を
記録しました。

アレックス・ロドリゲス

★プチトリビア

2001年に作った遊撃手としての52本塁打は、大リーグ記録で、
2002年の57本塁打でこれを更新しました。

1916年9月4日

将来殿堂入りのシンシナチ・レッズのクリスティー・マシューソンと
シカゴ・カブスのモーデカイ・「スリーフィンガー」・ブラウンの二人が
大リーグ通算25回目の対決をしました。
マシューソンは、10−8で勝利し、ナショナル・リーグ記録の
373勝目を記録しました。

クリスティー・マシューソン

★プチトリビア

マシューソンがレッズで投げたのは、この1試合のみ。
シーズン20以上を13回(12年連続)は、サイ・ヤングの16回に次ぐ2位で、
勝率.665(373勝188敗)は、いまでもナショナル・リーグ記録です。

1970年9月3日

シカゴ・カブスのビリー・ウィリアムスは、
ナショナル・リーグ記録となる1,117試合連続出場を記録します。
(試合は、フィラデルフィア・フィリーズに7−2で負けました)
1983年にスティーブ・ガービーが1,207連続出場するまで
ナショナル・リーグ記録として残りました。

ビリー・ウィリアムス

★プチトリビア

キャリア18年間のうち、16年をシカゴ・カブスで過ごしました。
大物打ちではありませんでしたが、2711安打、426本塁打、
1475打点を残し、そのスイングは美しいといわれた好打者。
新人王、首位打者1回、最多安打1回、得点王1回のタイトルを
とっています。

1996年9月2日

ニューヨーク・ヤンキースのデイビット・コーンが、
オークランド・アスレチックス相手に7回を無安打に抑え、
右腕の動脈瘤から劇的な復活をとげました。
ジョー・トーレ監督は、用心の為コーンを降板させますが、
アスレチックスは、9回にマリアーノ・リベラから放った内野安打で
ノーヒッターから開放されました。

デイビット・コーン

★プチトリビア

16年間で2655奪三振、奪三振王2回、シーズン200奪三振
6回の本格派右腕。
メッツ時代にコーン・ヘッドで有名になりました。

1971年9月1日

ピッツバーグ・パイレーツは、大リーグ史上初となる
先発ラインアップがすべて黒人になりました。
このラインアップには、後に殿堂入りするウィリー・スタージェル、
ロベルト・クレメンテが含まれていて、スリーリバース・スタジアムで
フィラデルフィア・フィリーズを10−7で破りました。

ウィリー・スタージェル

プチトリビア

この1971年は、パイレーツが1960年以来の世界一になった
年で、相手は前年世界一のボルチモア・オリオールズ。
フランクとブルックスの両ロビンソンにデイブ・マクナリー、
ジム・パーマーを擁すオーズが有利と見られていたが、
2連敗から盛り返したパイレーツが3連勝で先に王手をかけるも
オーズも意地で3−3のタイに持ち込むが、結局、総合力で
パイレーツが大接戦をものにしました。
MVPには、ロベルト・クレメンテが輝きました。

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