今日の「ちょっと昔のMLB」日記

mlb.comより管理人が勝手に翻訳!
誤訳の嵐か??さて、どんなもんでしょうか?


すいません!一気です。

1972年9月30日

ピッツバーグ・パイレーツのスター、ロベルト・クレメンテが、
キャリア通算3,000本目のヒットを記録します。
ニューヨーク・メッツに5−0で勝利した5回にジョン・マトラックから
マイルストンヒットを放ちました。
このヒットは、1972年の大晦日に飛行機事故で亡くなるクレメンテの
レギュラー・シーズン最後のヒットになりました。

ロベルト・クレメンテ

★プチトリビア

最終戦試合前に「今日打てなければ、
3000本は打てないな」と同僚にもらしていたそうで、
31日の救援機が飛び立つ際も「もし墜落しても
それは天命だ」ともいっていたそうです。
自分の運命を知っていたのかも。。。。

1954年9月29日

ウィリー・メイズは、ワールド・シリーズ第一戦において
大リーグ史上で最も偉大な「キャッチ」を魅せました。
2−2の同点の8回に、インディアンスのビック・ワーツが
ポロ・グラウンズのセンター深くに打球を飛ばします。
メイズは、460フィートを背走して、クリーブランドの二人の
走者が得点したであろうというヒットを防ぎました。
ジャイアンツは、この試合に勝ち、このシリーズは、
インディアンスをスイープしました。

ザ・キャッチ

★プチトリビア

メイズはこの年、打率.345で初の首位打者。
41本塁打、110打点でナ・リーグMVPに輝きました。

1941年9月28日

ボストン・レッドソックスのテッド・ウィリアムスは、
シーズン最終戦のダブルヘッダーで8打数6安打して
シーズン打率を.406としました。
ウィリアムスは、ゲースを欠場すれば.400を「保護」出来たにも
関わらず、試合に出場して、マイルストンの最後の打者になっています。

テッド・ウィリアムス

★プチトリビア

この4割が、現在でも最後の4割打者となっています。
さらに、1942年と47年に三冠王になり、
史上で二度の三冠王は、ロジャース・ホーンスビーと
ウィリアムスだけなのです。

1963年9月27日

ヒューストン・コルト45’sは、大リーグ史上でラインアップの
9人全員を新人にするという記録をつくりました。
全員新人のラインアップは、ハリー・クラフト監督が考案し、
その中には、将来殿堂入りのジョー・モーガン、オールスター
選手となるラスティー・スタウブとジミー・ウィンがいました。
しかし、コルト45’sは、10−3でニューヨーク・メッツに敗れました。



★プチトリビア

一番SS ソニー・ジャクソン
二番2B ジョー・モーガン
三番CF ジミー・ウィン
四番1B ラスティ・スタウブ
五番RF アーロン・ポインター
六番LF ブロック・デービス
七番3B グレン・ボーン
八番 C ジェリー・グロート
九番 P ジェイ・ダール
というのが、この日のコルト・45’sのオーダーです。

1971年9月26日

シカゴ・カブスのアーニー・バンクスが、大リーグで最後の
試合をプレーしました。
将来,殿堂入りのバンクスは、キャリア最後なる2,583本目の
安打ーフィリーズのケン・レイノルズに対して内野安打ーを
放ち、最終打席ではリグレー・フィールドのファンからスタンディング
オベーションを受けました。
その時は、バンクスの通算512本塁打は、歴代5位タイの記録でした。

アーニー・バンクス

★プチトリビア

バンクスといえば、遊撃手が有名ですが、
一塁手としての出場試合数のほうが、長いのですよ。
19年間カブス一筋だったが、ポストシーズンの出場は、
一度も訪れなかった。

1965年9月25日

カンザスシティ・アスレチックスのサッチェル・ペイジは、
大リーグにおいて最年長選手として登板します。
59歳といわれているペイジは、1953年以来の大リーグで、
ボストン・レッドソックスに対して、リリーフで3回を無失点に抑えます。
伝説のニグロリーガーは、オールスター選手のカール・ヤストレムスキーに
1安打を許しただけでした。

サッチェル・ペイジ

★プチトリビア

あの「火の玉投手」といわれた豪球ボブ・フェラーが、
「私の球がチェンジアップに見えた」といわしめた超豪球に
まさしく針の穴を通すコントロールを持っていたというから驚き。
300完封、55度のノーヒッターという伝説の記録もある(?!)らしい。

1992年9月24日

将来、殿堂入りのトロント・ブルージェイズ、
デイブ・ウィンフィールドが大リーグ最年長の
シーズン100打点を記録します。
40歳のウィンフィールドは、8−2でボルチモア・
オリオールズに勝利した試合で本塁打と二塁打を
放ちました。
彼は、シーズン終了時に103打点を記録しました。

デイブ・ウィンフィールド

★プチトリビア

ミネソタ大学の卒業時には、MLBの他に、NBA,ABA,NFLからも
ドラフト指名を受けたウィンフィールド。
マイナーを経ずにサンディエゴ・パドレスで大リーグデビュー。
5ツールプレーヤーのさきがけで、すべての部門で平均以上をマーク。
91年には、史上最年長の39歳でサイクル安打を達成しました。

1908年9月23日

ニューヨーク・ジャイアンツのフレッド・マークルは、
大リーグ史上最も有名な失態を演じました。
アル・バードウェルがヒットを放ち、カブスに対して
ウィニングランでアルハリー・マコーミックがホームに
帰ったとき、マークルは一塁走者でした。
マークルが二塁ベースを踏まずに帰ってしまったために、
アウトを宣告され、得点は無効になり、試合は同点のまま
再試合となります。
ジャイアンツとカブスが同率でシーズンを終えたために、
この再試合が優勝決定戦となりました。
結局、この再試合を4−2で勝ったカブスがナショナル・リーグ
ペナントを手にしました。
「マークルのボーンヘッド」です。

フレッド・マークル

★プチトリビア

この話には、前段があって、当時の習慣からすると、
マークルのこの行為は通常のものでボーンヘッドには当たらないというもの。
だが、これと同じことが、3週間前に起きていて、パイレーツ対カブスだった。
塁審も同じ人であり、カブスのエバース二塁手が塁審と今後はキッチリ見る、
という確約を取り付けていた矢先の出来事だ、というものでした。

1968年9月22日

ミネソタ・ツインズのセザール・トバルは、
オークランド・アスレチックスに2−1で勝利した試合で
全ポジションを守りました。
1試合で全ポジションを守った唯一の選手のバート・キャンパネリスが
偶然にもトバルがマウンドに上がった時の最初の打者でした。

セザール・トバル

★プチトリビア

ベネズエラ出身のトバルは、元々器用な選手で、
この試合で、あのレジー・ジャクソンを三振に切りました。

1964年9月21日

フィラデルフィア・フィリーズは、チコ・ルイズの驚くべき
ホーム・スチールでシンシナチ・レッズに1−0で敗れます。
この敗戦は、フィリーズの10連敗のスタートとなり、
6.5ゲーム差でリードしていたにもかかわらず、
セントルイス・カージナルスに1ゲーム差の
ナ・リーグ2位タイで閉幕してしまいました。

チコ・ルイズ

★プチトリビア

1950年以来の優勝を逃したフィリーズは、
1976年まで地区優勝出来ませんでした。

1968年9月20日

将来、殿堂入りのニューヨーク・ヤンキースの
ミッキー・マントルは、キャリアの最終本塁打を放ちます。
マントルは、ボストン・レッドソックスのジム・ロンボーグから
536本目を叩き込みました。
そして、マントルは、1969年のスプリング・キャンプ中に
引退を発表しました。

ミッキー・マントル

★プチトリビア

通算536本塁打は、スイッチヒッターの歴代1位記録。
左右両打席本塁打10度は、エディー・マレーに次ぐ、歴代2位です。

1973年9月19日

アトランタ・ブレーブスのデイビー・ジョンソンは、
二塁手の1シーズン最多本塁打を更新します。
彼の43号本塁打は、4−1でロサンジェルス・ドジャースに
敗れた試合で放たれ、殿堂入りのロジャース・ホーンスビーを
凌ぎました。
ジョンソンのシーズン合計43本は、
本塁打王ウィリー・スタージェルに1本及ばず、2位でした。

デイビー・ジョンソン

★プチトリビア

実際のところは、ジョンソンの1本が代打で放ったものであるため、
記録集によっては、42本でホーンスビーとタイ記録としているのもあります。

1996年9月18日

ボストン・レッドソックスのロジャー・クレメンスが、
自身が持つ大リーグ記録の1試合20奪三振に並びます。
「ザ・ロケット」は、デトロイト・タイガースを4安打で4−0と
封じました。
クレメンスは、1986年4月にシアトル・マリナーズ相手に
この記録を達成していました。

ロジャー・クレメンス

★プチトリビア

もう一人、1試合20奪三振を達成しているのが、
CHCのケリー・ウッド。
1998年5月6日のHOU戦で、1安打完封だった。
大リーグ記録としては、1962年9月12日に
ワシントン・セネタースのトム・チェイニーが16回で21奪三振がある。

1984年9月17日

カリフォルニア・エンジェルスのレジー・ジャクソンが、
通算500号本塁打を達成しました。
将来、殿堂入りの彼は、カンザスシティ・ロイヤルズの
サウスポー、バッド・ブラックから放ちました。
これは、1978年にサンフランシスコ・ジャイアンツの
ウィリー・マッコビーが到達して以来で、史上13人目の
マイルストン到達でした。

レジー・ジャクソン

★プチトリビア

レジーには、もうひとつの三振記録という大きな勲章がある。
通算2597三振は、歴代ダントツの1位で2位は、
サミー・ソーサの2194、3位はアンドレス・ガララーガの2003なので
これは安泰(?!)の記録か。

1975年9月16日

ピッツバーグ・パイレーツのレニー・スティネットは、
リグレー・フィールドでのシカゴ・カブス戦で22−0で
大勝した試合で、7打数7安打、5得点を記録しました。
パイレーツの二塁手は、9イニングで7打数7安打の
大リーグ史上唯一の選手だった1892年のボルチモア・オリオールズの
ウィルバート・ロビンソンと並びました。

レニー・スティネット

★プチトリビア

ウィルバート・ロビンソンは、元々名将ジョン・マグローと親友だったが、
1913年のWSでの采配をめぐって口論となり、コーチを解任。
ライバルのドジャースで監督となり、「アンクル・ロビー」として
ファンや選手から愛された存在だった。

★今日のオススメ!

オススメ度★★★★★(!)

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