今日の「ちょっと昔のMLB」日記

mlb.comより管理人が勝手に翻訳!
誤訳の嵐か??さて、どんなもんでしょうか?


1988年10月15日

負傷者カーク・ギブソンは、ワールドシリーズ史上で
最もドラマチックな本塁打の一つを放ちました。
第一戦の9回の2アウトから、オークランドのクローザー、
デニス・エカーズリーに対して代打で登場します。
ギブソンは、右翼スタンドへ2ランを叩き込み、5−4で
ドジャースに勝利をもたらしました。

カーク・ギブソン

★プチトリビア

アスレチックスはホセ・カンセコの満塁本塁打、
エースのデイブ・スチュワートが8回を3失点で、
満を持して45セーブのエカーズリーを投入したが、
満身創痍だったギブソンの一振りに負けました。

1969年10月14日

ニューヨーク・メッツのセンター、トミー・エイジーは、
ボルチモア・オリオールズとのワールドシリーズ第3戦で
2度のスーパー・キャッチを魅せました。
エイジーは、さらに本塁打も放ち、5−0で勝利して、
シリーズを2勝1敗とリードしました。

トミー・エイジー

★プチトリビア

エイジーは、66年にCWSと70年のNYMで
史上初となる両リーグでゴールドグラブを受賞した選手。
そしてこの69年は、「ミラクルメッツ」が初の世界一に。

1960年10月13日

ピッツバーグ・パイレーツの二塁手、ビル・マゼロスキーは
ワールドシリーズ史上最もドラマチックな本塁打のひとつを打ちました。
ニューヨーク・ヤンキースのリリーバー、ラルフ・テリーに対して
9回ウラの先頭打者マゼロスキーは、2球目を左翼ブリーチャー席へ
叩き込み、第七戦を10−9での勝利をもたらしました。

ビル・マゼロスキー

★プチトリビア

史上初の最終戦でのサヨナラ本塁打。
PITが4−0とリードしたが、6回にNYYが5−4と逆転、
さらに2点追加で7−4から、8回にPITが9−7と再逆転。
しかし、9回表に9−9の同点になり、奇跡の本塁打が出ました。

1963年10月12日

大リーグ史上で唯一のヒスパニックーアメリカンオールスター・
ゲームが開催されました。
ラテンスターの中には、将来殿堂入りのルイス・アパリシオ、
オーランド・セペダ、ロベルト・クレメンテ、ホワン・マリシャルを
含んで、他にはフェリペ・アルー、トニー・オリーバがいました。
ラテンのスターとして知られたマニー・モタは、ナショナル・リーグを
勝利に導く、代打安打を放ちました。

マニー・モタ

★プチトリビア

ドミニカ共和国出身のモタは、代打安打150本の
歴代2位の記録を持っています。
1位は、レニー・ハリスで、212本です。

1967年10月11日

ニューヨーク・メッツは、67年シーズンをサルティー・パーカーと
残り11試合に暫定のウエス・ウエストラムを監督にしたが、
前ブルックリンのオールスター選手だったギル・ホッジスを
呼び戻します。
ホッジスは、ワシントン・セネタースの監督でしたが、
ニューヨークから100,000ドルの補償とともに移籍しました。
2年後、ホッジスはメッツを初のワールド・チャンピオンに導きました。

ギル・ホッジス ← ギル・ホッジス(右)

★プチトリビア

ギル・ホッジスは、ツー・プラトン・システムを多用した、
といわれていますが、NYYで5連覇を達成したケーシー・ステンゲルが
ツー・プラトン・システムの元祖といわれています。

1926年10月10日

セントルイス・カージナルスは、3−2とリードした7回に
満塁のピンチで代打のトニー・ラゼリに対して、
グローバー・クリーブランド・アレキサンダーをマウンドに送ります。
アレキサンダーは、ラゼリを抑えて、ボンバーズを封じ込めて、
第七戦に勝利を呼び込みました。

グローバー・クリーブランド・アレキサンダー

★プチトリビア

この時、アレキサンダーは、39歳。
この年の6月にカージナルスへ移籍してきました。
ワールドシリーズでは、第六戦で完投勝ちですでに2勝。
前日投げたロートルがカージナルスに初の世界一をもたらした。

1996年10月9日

12歳のジェフリー・マイヤーという名の少年が、
アメリカン・リーグ・チャンピオンシップ・シリーズ第一戦で
ニューヨーク・ヤンキースが5−4でボルチモア・オリオールズに
勝利する上で重要な役割を果たします。
8回に、ヤンキースのデレク・ジーターの打球をヤンキースタジアムの
ライトのフェンス際でキャッチしました。
リッチ・ガルシア審判は、本塁打と判定し、ヤンキースが4−4の
同点に追いつきました。

アメリカン・リーグ・チャンピオンシップ・シリーズ第一戦

★プチトリビア

ここで追いついたヤンキースは、延長11回に
バーニー・ウィリアムスの本塁打で第一戦を取り、
4勝1敗でワールドシリーズへ駒を進めました。

1956年10月8日

ニューヨーク・ヤンキースのドン・ラーセンは、
最初のー唯一のーワールドシリーズでの
パーフェクト・ゲームを達成します。
ヤンキー・スタジアムにおいてわずか97球で、
ベテラン右腕はブルックリン・ドジャースを2−0と封じました。
ミッキー・マントルは、ホームランと5回のスーパーキャッチで
ラーセンの偉業を助けました。

ドン・ラーセン

★プチトリビア

このラーセンという男、2年前の54年には、
3勝21敗(?!)という記録的な数字を残していて、
この56年のシーズン11勝が自身初の2ケタ勝利だった。
何が起こるかわからないから、面白いですよね。

1904年10月7日

「ハピー」ジャック・チェスブロは、ニューヨーク・ハイランダースを
ボストン・ピルグリムスから3−2の勝利し、自身のシーズン41勝目を
記録しました。
これはアメリカン・リーグ最高記録でありつづけますが、
シーズン最終日のチェスブロのワイルドピッチでハイランダースが
ペナントを逃し、甘酸っぱいものになってしまいました。

「ハピー」ジャック・チェスブロ

★プチトリビア

この年のチェスブロは、最多勝、最多完投(48)、最多イニング(454.2)と
まさに絶好調だけだっただけに、痛い痛いワイルドピッチでした。

1926年10月6日

ベーブ・ルースは、ワールド・シリーズで
1試合3本塁打をする最初のプレーヤーになります。
ルースは、第4戦で3本塁打してセントルイス・カージナルスから
ヤンキースに勝利をもたらします。
彼のパフォーマンスは、レジー・ジャクソンが
ロサンジェルス・ドジャース相手に第6戦で3本塁打する
1977年まで、誰も達成することが出来ませんでした。

ベーブ・ルース

★プチトリビア

ジャクソンの3本塁打は、すべて初球を打った驚弾でした。
5回しか出場していないワールドシリーズ打率は、.357で
生涯打率が.267ですから、まさしく「Mr.October」です。

1941年10月5日

ワールドシリーズ第4戦の9回二死から、
ドジャースのミッキー・オーウェン捕手が
3ストライクめを取り損なってしまいます。
この失策は、ヤンキースのトミー・ヘンリック外野手を
一塁に生かし、7−4でヤンキースが勝つきっかけを与えました。
ブルックリンは、勝てばシリーズを2−2のタイにすることが出来たのに
第5戦でシリーズの負けが決まりました。

ミッキー・オーウェン

★プチトリビア

このシリーズは、第1戦が3−2でNYY、
第2戦は3−2でBRN、第3戦が2−1でNYYとすべてが1点差。
この第4戦も普通なら4−3でBRNが勝利するところだったのに。
ひとつのプレーが明暗を分けることは、多々あります。

1955年10月4日

ブルックリン・ドジャースは、ワールド・シリーズ第七戦で
ニューヨーク・ヤンキースを2−0でシャットアウトして、
初のワールドチャンピオンに輝きました。
強打の一塁手、ギル・ホッジスがジョニー・ポドレスの完投勝ちを
助ける2打点を稼ぎ出しました。
ドジャースは、これまで1941,47,49,52,53年とワールドシリーズで
すべてヤンキースに負けて、世界一になれませんでした。

ブルックリン・ドジャース

★プチトリビア

敵地で2連敗したドジャースは、
地元に帰って、3連勝で一気に逆王手。
第六戦は落としたが、最終戦で悲願を達成しました。

1951年10月3日

ニューヨーク・ジャイアンツのボビー・トムソンは、
ブルックリンのラルフ・ブランカから「世界を駆け巡った」
ペナントを勝ち取る3ラン・ショットを放ちました。
ジャイアンツは、ナショナル・リーグ・プレーオフで
4−1とリードして9回に入りましたが、トムソンの一撃で
ステージからひきずりおろされました。

ボビー・トムソン

★プチトリビア

この時は、ワンゲーム・プレーオフではなく、3試合制でした。
1勝1敗で迎えた第3戦の9回ウラ、2−4からの奇跡の逆転3ランでした。

1978年10月2日

バッキー・デントの信じられない本塁打で、
ニューヨーク・ヤンキースがフェンウェイ・パークでの
ワンゲーム・プレーオフでボストン・レッドソックスを破ります。
2点を追う6回、マイク・トーレスから放ったデントの打球は、
グリーンモンスターを越えていく3ランになりました。
ヤンキースは、5−4で勝利し、アメリカン・リーグ・チャンピオンシップ
シリーズに進出しました。

バッキー・デント

★プチトリビア

この78年は、一時14ゲーム差まで広がっていたが、
最終戦で同率首位に追いつき、デントの奇跡の逆転3ランで地区V。
一気にワールドシリーズまで制し、77年に続き、連続世界一となった。

1961年10月1日

ニューヨーク・ヤンキースのロジャー・マリスが、
伝説のベーブ・ルースの34年の記録を破る
シーズン61号本塁打を放ちました。
マイルストン・ショットは、ボストンのトレーシー・スタラード
から放ち、ヤンキースを1−0での勝利に導きました。

ロジャー・マリス

★プチトリビア

生え抜きのミッキー・マントルと「MM砲」と呼ばれたが、
地元では、「マントルは善玉、マリスは悪玉」といわれ、
ベイブ・ルースの記録をマントルに抜いてもらいたい、という
感情から「ニューヨークは嫌な町だ」とマリスは言っていました。