今日の「ちょっと昔のMLB」日記

mlb.comより管理人が勝手に翻訳!
誤訳の嵐か??さて、どんなもんでしょうか?


すいません!
一気に月末まで先に更新します!よろしくお願いします。

1990年7月31日

将来殿堂入りのテキサス・レンジャースの
ノーラン・ライアンがキャリア通算300勝を達成しました。
前回の挑戦では、マイルストン達成を失敗していた43歳のライアンは、
11−3でミルウォーキー・ブリューワーズを破りました。
ライアンは、ポール・モリター、ロビン・ヨーント、ゲーリー・シェフィールド、
デイブ・パーカーのラインアップに対して、7回2/3を1失点で抑えました。

ノーラン・ライアン

★プチトリビア

モリターが3319安打、ヨーントが3142安打、パーカーが2712安打、
シェフィールドは現DETのシェフィールドというそうそうたるメンバーを
抑えての300勝到達でした。

1959年7月30日

ウィリー・マッコビーは、印象的な大リーグ・デビューを
サンフランシスコ・ジャイアンツで行います。
若いスラッガーは、将来殿堂入りのフィラデルフィア・フィリーズの
ロビン・ロバーツから4打数4安打、2三塁打を記録します。
マッコビーは、ほんの52試合出場でしたが、最終的に
ナショナル・リーグ新人王を勝ち取ります。

ウィリー・マッコビー

★プチトリビア

「ストレッチ」のニックネームを持つマッコビー。
物静かな温厚な性格でSFでは、人気者でした。
通算本塁打521で、満塁本塁打18は、歴代2位の記録です。

1968年7月29日

ワシントン・セネタースのロン・ハンセンは、
単独のトリプル・プレーを完成させました。
41年ぶりで史上8人目になります。
走者1,2塁で、クリーブランドのジョー・アズキューの打球は
ハンセンの右側へ。
ハンセンは、ライナーをつかみ2塁を踏んで、デイブ・ネルソンを
封殺、ベースに滑り込んできたロシア・スナイダーにタッチして
完成させました。

ロン・ハンセン

★プチトリビア

ハンセンは、守備の上手い遊撃手で、最多捕殺4回、最多併殺3回。
1968年のオフにホワイトソックスからセネターズへ移籍したが、
この記録の3日後にホワイトソックスへ出戻りとなりました。

1994年7月28日

テキサス・レンジャースのケニー・ロジャースが、
カリフォルニア・エンジェルスに対してパーフェクト・ゲームを
達成します。
ベテラン左腕は、8奪三振をとり、近代野球史上11人目の
記録をボールパーク・アット・アーリントンで4−0で勝利します。

ケニー・ロジャース

★プチトリビア

ロジャースは、1982年ドラフト39位でレンジャース入り。
大リーグに昇格したのが89年。
92年までは、中継ぎ投手だった。
先発には93年に転向し、いきなり16勝し、転向2年目の快挙でした。
96年からは、NYY−OAK−NYM−TEX−MIN−TEXと渡り歩き、
06年は、DETでオールスターでも先発しました。
息の長い投手です。

1968年7月27日

デトロイト・タイガースのデニー・マクレインは、
ボルチモア・オリオールズを9−0でシャットアウトして
シーズン20勝目をあげます。
マクレインは、最終的には驚異の31勝をあげて、
現時点で最後の30勝投手であります。
アメリカン・リーグのサイヤング賞を勝ち取ります。

デニー・マクレイン

★プチトリビア

68年のマクレインは、31勝、勝率.838、28完投、336投球回の
4部門で1位となり、満票でMVPとサイヤングのダブル受賞でした。
しかも、翌69年も24勝と9完封が1位で2年連続のサイヤング賞に
輝きました。
が、70年からは、転落の一途をたどり、72年にわずか28歳で引退。
その後も、事業に失敗したり、コカインの密輸に関わり、収監もされました。
どんなときでも、自分を見失ってはいけないという見本ですね。(苦笑)

1948年7月26日

ベイブ・ルースが公の場に最後の姿を表します。
咽頭癌の前ヤンキースの偉大な選手は、「ベイブ・ルース
物語」の映画初日を訪れました。
3週間後、ルースは病気に負けて、53歳で亡くなります。

ベイブ・ルース

★プチトリビア

黄金期のヤンキースを支えたルースとゲーリック。
ルースの本塁打は、高い放物線を描いてスタンドインするが、
ゲーリックのそれは、鋭いライナーで突き刺さる、と形容されます。
ある時、それはそれは高いフライを打ち上げた。
なんとか内野手が取った時、ルースは3塁へ達していた、ほど
高く上がったらしい。
その高さがおよそ210フィート(約64m)といわれ、
アストロドームの天井の高さを決める ものさしとなったというのは有名な話です。

1966年7月25日

前ボストン・レッドソックスの偉大な打者、テッド・ウィリアムスと
伝説的監督のケーシー・ステンゲルは、栄誉殿堂入りします。
ウィリアムスは「大リーグでプレーすることが出来なかった
黒人リーグの選手にも殿堂入りを考えるべきだ」という
印象的なスピーチをしました。
5年後、殿堂は彼のスピーチを受け、サッチェル・ペイジを
殿堂入りに選びました。

テッド・ウィリアムス

★プチトリビア

黒人リーグの投手代表がペイジなら、
打者の代表はジョシュ・ギブソンでしょう。
”800本塁打を打った男”といわれ、LADで活躍した
ロイ・キャンパネラ(MVP3回)が「走攻守の全てで私以上。
飛距離はルース以上、確実性はテッド・ウィリアムス以上」
と言い切る、ギブソンという男を見てみたかった。
1972年に殿堂入りを果たしています。

1983年7月24日

カンザスシティ・ロイヤルズとニューヨーク・ヤンキースは、
ヤンキー・スタジアムで有名な「パインタール・ゲーム」をします。
ジョージ・ブレットがグース・ゴセージから2ラン・ホームランを
打ち、5−4とロイヤルズがリードした数分後、
主審のティム・マクレランドが、バットにパインタールを塗りすぎている
ということで、ブレットをルール・アウトの判定をします。
アメリカン・リーグ会長のリー・マクフェイルは、
後にこの決定を覆します。

パインタール・ゲーム

★プチトリビア

結局、4日後に「ホームランは有効、8月18日に試合再開」という
決定がマクフェイルよりくだされました。
パインタールを18インチ以上塗る事は違反であると、
1976年に加えられたが、違反はアウトであるということは
明記されていなかった。
元々、このルールはボールが汚れて、頻繁に交換をするのを
防ぐ目的で制定された為でした。

1962年7月23日

ジャッキー・ロビンソン、ボブ・フェラー、エド・ラウシュ、
伝説的監督のビル・マケクニーが栄誉殿堂入りします。
ロビンソンは、20世紀の最初の黒人大リーガーであり、
また、クーパースタウンに選ばれた最初のアフリカ系
アメリカ人でもあります。

ジャッキー・ロビンソン

★プチトリビア

ロビンソンは知らない人はいないと思いますので
ボブ・フェラーは、「火の玉」といわれたファーストボールで
ノーヒッター3回、通算266勝、2581奪三振。
エド・ラウシュは、創世記の大リーグで通算2376安打、
通算打率.323、首位打者2回の安打製造機。
ビル・マケクニーは、25年間の監督生活で1896勝
勝率.524、世界一2度、リーグ優勝4回の名将です。

1989年7月22日

ナショナル・ベースボール・ホール・オブ・フェイムと
博物館は、ニューヨーク市クーパースタウンで50周年記念
と加盟式典を行います。
ジョニー・ベンチ、カール・ヤストレムスキー、レッド・シェーンディーンスト、
審判のアル・バーリックが殿堂図書館の前で加盟スピーチを行いました。

ジョニー・ベンチ

★プチトリビア

ホール・オブ・フェイムが最初に決められたのは、1936年。
第一回のメンバーには、タイ・カッブ、ウォルター・ジョンソン、
クリスティー・マシューソン、ベイブ・ルース、ホーナス・ワグナーの
5人が選ばれました。

1969年7月21日

大リーグは、オールスター・ゲームで
「ナショナル・パスタイム」の100周年を記念の祝宴を行います。
祝宴の行事は、オール・タイム・チームの予告と「偉大なオール・
タイム・プレーヤー」にベイブ・ルースを、「偉大な現役プレーヤー」
にジョー・ディマジオを選出した事を発表しました。

ベイブ・ルース

★プチトリビア

オールセンチュリー・チームが発表されて、ものすごいメンバーが
名を連ねています。

1916年7月20日

ニューヨーク・ジャイアンツは、将来殿堂入りの
クリスティー・マシューソンを5人の一人として
シンシナチ・レッズにトレードします。
マシューソンは、ジャイアンツで372勝をあげ、
あと一つの勝利を、長い間のライバルだった
スリー・フィンガー・ブラウンと対決し、記録して、
レッズの監督になるために引退しました。

クリスティー・マシューソン

★プチトリビア

17年のキャリアで積み上げた勝利が373。
フェイド・アウエイと呼ばれたスクリュー・ボールで
2507奪三振、最多奪三振5回、最多勝4回、
最優秀防御率5回という数々の勲章を手に入れたが、
彼もまた、戦争の犠牲となり45歳で早世しました。

1910年7月19日

クリーブランド・スパイダースのサイ・ヤングは、
ワシントン・ナショナルズを5−4で破り、キャリア通算
500勝を達成します。
ヤングは、ここから記録を伸ばし、通算511勝で引退しました。

サイ・ヤング

★プチトリビア

本名は、デントン・トゥルー・ヤング。
サイクロン(旋風)のようなボールを投げるところから
「サイ」がニックネームについたといわれていますが、
「田舎者」からついたという説もあります。
44歳まで投げつづけたヤングは、ナ・リーグで290勝、
ア・リーグで221勝と両リーグで唯一200勝以上を記録、
さらに、19世紀に286勝、20世紀に225勝と2世紀に渡って
200勝以上したのもヤング唯一人です。(すげ〜、すげ〜)

1999年7月18日

ニューヨーク・ヤンキースのデイビット・コーンは、
大リーグ史上16人目、現代史上14人目のパーフェクト・
ゲームを達成しました。
ベテラン右腕は、素晴らしいコントロールを見せ付けて、
6−0でモントリオール・エクスポスを押さえ込みます。
デレク・ジーターとリッキー・レディーは、それぞれ2ラン・
ホームランを放ち、コーンをサポートしました。

デイビット・コーン

★プチトリビア

現代史上とは、modern era(モダンエリア)で表現し、
1900年以降のことを指します。
コーンは1981年にドラフト3位でKC入り、NYM−TOR−
KC−TOR−NYY−BOSーNYMと渡り歩き、
5度のワールド・チャンピオンに輝く強運と通算奪三振2668の
右腕は、「コーン・ヘッド」でも有名です。

1941年7月17日

ジョー・ディマジオの連続試合安打は、56試合で
クリーブランド・インディアンスによって止められます。
「ヤンキー・クリッパー」は、三塁手ケン・ケルトナーの
2度にわたる超美技で安打を阻止されました。
しかし、強力な中堅手の助けなしで、ヤンキースは
6−5で勝利を収めました。

ケン・ケルトナー

★プチトリビア

第一打席の三塁線の強烈なゴロを、あらかじめ三塁線よりに
深く守っていたケルトナーが逆シングルでさばき、間一髪のアウト。
第三打席の強烈な三塁への打球もケルトナーがさばき、記録は止まった。
だが、この次の日、5月18日から8月2日まで16試合連続安打しているので
ケルトナーの美技がなければ、73試合連続安打というとてつもない記録に
なるところでした。

1941年7月16日

ニューヨーク・ヤンキースの外野手、ジョー・ディマジオが
4打数3安打して、自身の連続安打を56試合に伸ばします。
この56試合中、223打数91安打で打率.408を記録し、
この日はミシュパル・スタジアムでインディアンスを10−3で
破るのを助けました。

ジョー・ディマジオ

★プチトリビア

この記録が始まったのが、5月15日のシカゴ・ホワイトソックス戦。
場所は地元ヤンキー・スタジアム。
シーズンオフに契約問題がこじれた為、スプリング・トレーニングに
入るのが遅れ、調整不足で開幕から今ひとつの成績だった。
この日の安打は、当たり損ねの安打だったというから、
世の中、何が起こるか分からないということですかね。
(だって、翌日に記録がストップした時は、
相手三塁手ケン・ケルトナーの超美技が2本出たわけですから。。。)

1973年7月15日

カリフォルニア・エンジェルスが、6−0でデトロイト・
タイガースを破った時、ノーラン・ライアンは
シーズン2度目のノーヒット・ゲームを達成します。
6回に、タイガースのスラッガー、ノーム・キャッシュが
バットの代わりにピアノの脚を持って打席に入ろうとします。
主審に普通のバットに代えるように要求され、
結局、最初の2打席と同じく、三振に倒れました。

ノーラン・ライアン

★プチトリビア

キャッシュは、通算377本塁打、1103打点のタイガースの主砲。
その打者が、失笑をかうようなことを仕出かさなければならないほど
ライアンのボールが凄まじかった、ということでしょう。
このときのキャッシュのいいわけが、「どうせ、打てないんだから、
いいじゃないか」というものらしいです。(笑)

1967年7月14日

ヒューストン・アストロズの内野手、エディー・マシューズは
キャリア通算500本目の本塁打を放ちます。
前ミルウォーキー、アトランタ・ブレーブスの伝説は、
将来、殿堂入りのホワン・マリシャルから放ち、
キャンドルスティック・パークでアストロズがサンフランシスコ・
ジャイアンツに8−6で勝利するのを助けます。

エディー・マシューズ

★プチトリビア

マシューズがデビューした時、ブレーブスはボストンにあり、
以降、ミルウォーキー、アトランタと3つの本拠地でプレーした
唯一の選手です。
このマシューズと13年間コンビで強打を放ったのが、
ハンク・アーロンで、ふたりで863本塁打を記録しています。
これは、あのルースとゲーリックのコンビをも凌ぐ大記録です。

1971年7月13日

オークランド・アスレチッスのレジー・ジャクソンが、
オールスター史上最も印象的な本塁打の一つを放ちます。
3回にピッツバーグのドク・エリスから打った本塁打は、
タイガー・スタジアムの屋根の照明タワーにぶちあてます。
推定520フィート(約158m)の驚弾は、アメリカン・リーグを
6−4の勝利に導きました。

レジー・ジャクソン

★プチトリビア

ミスター・オクトバーの異名の通り、最も印象的なのは
プレーオフ・シーズンですが、オールスターにも
21年のキャリアで14回出場しています。
キャリア歴代1位の2597三振のジャクソンも
オールスターでは三振記録がありません。

1979年7月12日

シカゴ・ホワイトソックスは、デトロイト・タイガースとの
ダブルヘッダーで98セントの入場料で「ディスコ・デモリション
・ナイト」を開催します。
ディスコ・レコードは試合で壊され、ファンがフィールドを急襲
したとき、混雑と暴力を起こします。
プレーの続行が不可能となり、ホワイトソックスは第二試合を
失う事になりました。

ディスコ・デモリション・ナイト

★プチトリビア

この企画の発案者は、天才プロモーターといわれた
名物オーナーのビル・ベック。
生きたブタをプレゼントしたり、球場結婚式を行ったり、
インディアンスを買収した折には、ラリー・ドビーを獲得
ア・リーグ初の黒人選手としたり、伝説のサッチェル・ペイジと
契約したのも彼でした。

1914年7月11日

将来、殿堂入りのベイブ・ルースがボストン・レッドソックスで
デビューします。−投手として。
ハード・スローイング左腕に勝敗は付かず、最初の打席では
三振を喫し、7回に代打を出されて交代しました。
この試合、レッドソックスは、4−3で勝利しました。

ベイブ・ルース

★プチトリビア

打者として通算本塁打714本は、超有名ですが、
投手としてキャリアは10年。
163試合に登板して、94勝46敗、17完封、1221.1回で488奪三振
防御率2.28という成績を残しました。

1934年7月10日

オールスター・ゲーム史上で最も印象的な出来事がありました。
ニューヨーク・ジャイアンツのカール・ハッベルがベイブ・ルース、
ルー・ゲーリック、ジミー・フォックス、アル・シモンズ、そして
ジョー・クローニン(全員、将来殿堂入り)を連続三振に打ち取ります。
しかし、彼のこのパフォーマンスにも関わらず、9−7でアメリカン・
リーグが勝利し、ハッベルには勝敗はつきませんでした。

カール・ハッベル

★プチトリビア

「キング・カール」の武器は、左腕からのスクリュー・ボール。
この1934年のアメリカン・リーグの先発全員が後に殿堂入りの
超豪華ラインアップでした。
1回にいきなり四球と安打で無死1,3塁の大ピンチを迎えてから
ルース以下を3者連続三振。
2回も2者連続三振で5連続。3回も1奪三振で、3回を無失点に抑えました。

1946年7月9日

ボストン・レッドソックスのスター、テッド・ウィリアムスは
オールスター・ゲーム史上において、1試合での偉大な
記録を持っています。
「素晴らしきスプリンター」は、ホームタウンのファンの前で、
4安打、4得点、5打点を記録しました。
そして、彼は2本の本塁打も放ちました。

テッド・ウィリアムス

★プチトリビア

この時の1試合4安打、4得点、5打点、2本塁打は
歴代1位の記録です。
この他に、ウィリアムスのオールスターでの本塁打といえば、
1941年のサヨナラ3ランホームランが有名です。

1912年7月8日

シカゴ・カブスが7−2でニューヨーク・ジャイアンツの
ルーブ・マークォードを破った時、開幕からの連勝記録が
19で終わります。
マークォードは、1912年シーズンは26勝をあげ、
この記録は今でも歴代1位の記録です。

ルーブ・マークォード

★プチトリビア

フォークボールやチェンジアップを武器としたレフティ。
1908年に10球団の争奪戦で、破格の1万1千ドルで
ニューヨーク・ジャイアンツへ入団。
11年24勝、12年が26勝、13年も23勝して、
18年のキャリアで11回の2ケタ勝利をあげました。
1971年に殿堂入りしています。

1948年7月7日

クリーブランド・インディアンスは、大リーグ史上最年長新人と
なる42歳の黒人リーグの伝説の男、サッチェル・ペイジと契約します。
多くの人々がこの契約は間違いだと批判されましたが、
ペイジは、6勝1敗、防御率2.48という成績で周りを黙らせます。
1971年に栄誉殿堂入りを果たしました。

サッチェル・ペイジ

★プチトリビア

ペイジには、105戦104勝だとか、31勝4敗で21連勝とか
40イニングで奪三振60とか、様々な伝説の記録がありますが、
黒人として第1号に大リーグ入りしたのが、自分ではなく
若きロビンソンだったことにショックを受けていたといわれています。

事実、黒いベイブ・ルースといわれたジョシュ・ギブソンは、
(黒人側から言うとルースが白いギブソンらしいが)
大リーグからの誘いがないことで自暴自棄になり、若死にしたといわれています。

1933年7月6日

第一回オールスター・ゲームがシカゴ、コミスキー・パークで
開催されます。
両軍のロースターには、将来殿堂入りのルー・ゲーリック、
ジミー・フォックス、レフティー・グローブ、カール・ハッベル、
ポール・ウェイナーらが揃いました。
ベイブ・ルースの2ラン・ホームランでアメリカン・リーグが
4−2で勝利しました。

オールスター・ゲーム

★プチトリビア

そもそも、シカゴ・トリビューン社の運動部長アーチ・ウォードが
「ハッベルさんが投げて、ルースさんが打つのを見たい」
という少年からの投書がきっかけで始まったものです。
オールスターのMVPトロフィーには、アーチ・ウォード賞と
入っています。

1947年7月5日

クリーブランド・インディアンスのラリー・ドビーは、
アメリカン・リーグで初のアフリカ系アメリカ人としてプレーします。
インディアンス、シカゴ・ホワイトソックス、デトロイト・タイガースで
13年間のキャリアでオールスターに7回出場し、2回の本塁打王に
輝きました。
ドビーは、1998年に殿堂入りを果たしました。

ラリー・ドビー

★プチトリビア

他に打点王と得点王にも輝き、1959年に引退。
62年には、日本の中日ドラゴンズに入団しました。
が、往年の力を出せず、1年で帰国。
その後、1978年にはホワイトソックスで
黒人として2人目の監督として就任しました。

1939年7月4日

ニューヨーク・ヤンキースは、ルー・ゲーリックの「4」を
永久欠番にする式典をヤンキー・スタジアムで行います。
ベースボール史上最も有名な出来事のひとつであり、
「アイアン・ホース」は、「私は地球上で最も幸せな男です」
と62,000人のファンの前で話します。
2年後、ゲーリックは自分の名前のついた病気に負けました。

ルー・ゲーリック

★プチトリビア

ゲーリックの合計出場試合が2164試合。連続試合出場が2130試合。
17年間ほとんど休まずにワーク・ホースぶりを見せつけました。
通算打率.340、493本塁打、2721安打で首位打者、打点王
本塁打王、MVPなど数々のタイトルを獲得し、わずか37歳で亡くなりました。
オール・センチュリー・チームには、盟友ルースを上回る得票で選出されました。
合掌。

1966年7月3日

アトランタ・ブレーブスのトニー・クロニンガーは、
1試合で2本の満塁本塁打したナショナル・リーグ初の投手になり、
彼の1試合9打点は、投手の1試合最多打点となります。
打つだけでなくマウンド上でも彼のパフォーマンスによって
ブレーブスは、サンフランコ・ジャイアンツを17−3で粉砕しました。

トニー・クロニンガー

1933年7月2日

ニューヨーク・ジャイアンツのサウスポー、カール・ハッベルは
セントルイス・カージナルスに延長18回で1−0で勝利します。
将来殿堂入りのハッベルは、12奪三振で許した安打は6本だけと
彼の傑作を作ります。
相手の先発、テックス・カーレトンはハッベルと同様な努力をしましたが
16イニングを投げて、ノーデシジョンでした。

カール・ハッベル

★プチトリビア

左腕から繰り出すスクリューボールを武器とした「キング・カール」
最も有名なのが1934年のオールスター・ゲームで1回から
5連続奪三振。しかも、ルース、ゲーリック、フォックス、シモンズ、
クローニンと将来殿堂入りの5人から奪ったもの。
ルースとハッベルの対決が見たいという少年の投書から始まった
オールスター・ゲームの主役を見事にこなしました。

1951年7月1日

クリーブランド・インディアンスのボブ・フェラーは、
デトロイト・タイガースから2−1で勝利し、ラリー・コーコランと
サイ・ヤングに並ぶ、3度目のノーヒッターを達成します。
フェラーの記録は、サンディー・コーファックスの4度の
ノーヒッターに破られ、さらに、ノーラン・ライアンが7度の
ノーヒッターで塗り替えます。

ボブ・フェラー

★プチトリビア

このノーヒッターは、実は1失点なのでノーラン(No Run)ではないのです。
1安打試合を12回もやっているのは、非常に惜しいです。

◆今日の気になった出来事

「1番DH」で出場したドジャース大谷翔平は、2打数無安打も、2四球で2度出塁し、2得点をマークした。
チームは先発右腕メイの好投もあり、快勝。同一カード3連勝でスイープに成功し、
前カードから4連勝を飾った。

大谷は1回の第1打席で四球を選び、3番フリーマンの適時二塁打で生還。
3回の第2打席も四球で出塁すると、再びフリーマンの適時二塁打で追加点となるホームを踏んだ。

7回には2番ベッツが10号ソロを放ち、ダメ押し点を挙げた。
打撃不振にあえぐベッツは21試合、92打席ぶりのアーチ。
ロバーツ監督は「序盤はあまり良いスイングではなかったが、最後に引っ張ってスプリットを
ホームランにした。今日はよく眠れるだろう。次はアストロズ戦で大事なシリーズ。
この流れを持っていける」と前向きに話した。

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