◆No−Hitter


Larry Corcoran(ラリー・コーコラン)





Lawrence J Corcoran
1859.8.10〜1891.10.14
ニューヨーク州ブルックリン出身
右投げ左打ち



1880年、20歳でキャップ・アンソンが監督をしていた
シカゴ・ホワイトストッキングス(現カブス)に入団、
フレッド・ゴールドスミスと共にシカゴの二枚看板となった。

1年目から63試合に登板、43勝14敗、防御率1.95、
リーグ1位の268奪三振。
8月19日の試合では、ボストン・レッドキャップスを相手に
自身最初のノーヒットノーランを達成した。
スコアは、6−0。
エラーで4人を出塁させただけで、無四球だった。

81年は31勝で最多勝。82年には27勝、防御率1.95で最優秀防御率投手となった。
9月20日、ウースター・ルビーレッグスを相手に自身2度目のノーヒッター。
スコアは、5−0。

83年と84年にもそれぞれ34勝、35勝を上げ、最初の5年間は全て25勝以上、
4シーズンで30勝以上を挙げた。

84年6月27日のプロビデンス・グレイズ戦で3度目のノーヒッターを達成。
スコアは、6−0。
10連勝中のグレイズをまさにシャットアウトした。
3度のノーヒッターは、1908年にサイ・ヤングが達成するまで、大リーグ唯一の記録だった。

コーコランは右利きだったが、84年6月10日のクリーブランド戦で、
初めて投げる腕の左右を変えて投球した。
また6月16日のバッファロー・バイソンズ戦では、中継ぎとして登板、
投げる腕の左右を変えながら4イニング登板したという記録を残している。
これは現在でも、1試合の中で腕の左右を変えながら投げた記録として
大リーグ最長の登板回数である。

85年に腕にひどい怪我を負い、それまでの登板の影響もあり登板回数が激減。
引退するまでの87年までの3年間で、14試合しか登板できなかった。
27歳で引退した後、4年後の91年に死去。32歳の若さだった。

8年のキャリアで177勝89敗、防御率2.36、1103奪三振、22完封を記録した。

<タイトル>

最多勝利1回(1881年) 最優秀防御率1回(1882年)
最多奪三振1回(1880年)
ノーヒッター3回(1880年8月19日 1882年9月20日 1884年6月27日)


<通算成績>

277試合 268先発 256完投 22完封 177勝89敗
2392.1回 1103奪三振 496四球 防御率2.36=8年


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