Players Choice No.10


Gaylord Perry(ゲイロード・ペリー) 投手 右投げ右打ち


ゲイロード・ペリー

Gaylord Jackson Perry

1938.9.15生まれ ノースカロライナ州ウィリアムストン出身

スピットボーラーながら長い間投げつづけたペリー。

1962年にサンフランシスコ・ジャイアンツでデビュー。
1年目は13試合で3勝1敗。
2年目は1勝6敗と落ち込んでしまったが、5年目に開花する。

この年、1966年は21勝でリーグ3位、防御率2.99をマーク。
初めてのオールスター・ゲームに選ばれた。
この年から毎年15勝以上を安定してあげるようになった。

1968年9月18日のセントルイス・カージナルス戦で初のノーヒッター。

1970年には、23勝で最多勝、5完封、328.2回の3部門で1位となった。

72年はクリーブランド・インディアンスへ移籍して、
24勝、防御率1.92、投球回343回と活躍し、自身初となる
サイヤング賞を獲得した。

73年19勝、74年21勝しながら、
75年途中でテキサス・レンジャースへ移籍する。

75年は2球団合計で18勝。
その後も76,77年は15勝づつをマーク。

しかし、78年は4球団目となるサンディエゴ・パドレスへ移籍。
21勝6敗(最多勝)、防御率2.72、勝率.778(1位)の成績で
39歳ながら2度目のサイヤング賞を獲得する。
しかも両リーグでサイヤング賞受賞は史上初の出来事だった。

翌79年、40歳ながら12勝をあげるが、80年はレンジャースと
ヤンキースで合計10勝。
81年はアトランタ・ブレーブスへ移籍し、8勝止まり。
1966年から続けていた連続2ケタ勝利が15年で止まってしまった。

82年の開幕を控えて、ペリーの通算勝利数は297。
念願の300勝を目指して、必死に各球団に売り込みをかけ、
3月末にようやく7球団目となるシアトル・マリナーズと契約できた。

そして、1982年5月6日対ニューヨーク・ヤンキース戦で
43歳にして見事9安打3失点完投で300勝を達成しました。
シーズンでは17回目の2ケタとなる10勝もあげています。

翌83年はマリナーズでスタートも球宴前にカンザスシティ・ロイヤルズへ移籍。
その8月13日、対ボストン・レッドソックス戦で通算313勝目と奪三振6で
ウォルター・ジョンソンを抜く3512奪三振という大記録もマークしました。

そして83年に数々の記録を残して引退となりました。

22年間、自分の右腕を信じて買ってくれるならどこなりと移籍を
繰り返し、自他ともに認めるスピットボーラーとして球歴を全うしました。

なお、3歳違いの兄、ジムも1959年にクリーブランド・インディアンスから
75年のオークランド・アスレチックスまで17年間を投手として活躍。
通算で215勝をマーク、ペリー兄弟でニークロ兄弟に次ぐ529勝は
史上2位の記録です。

1991年に殿堂入り。

サンフランシスコ・ジャイアンツ(1962ー71)−クリーブランド・インディアンス(72−75)
ーテキサス・レンジャース(75−77)ーサンディエゴ・パドレス(78−79)ー
テキサス・レンジャース(80)ーニューヨーク・ヤンキース(80)ーアトランタ・ブレーブス(81)
ーシアトル・マリナーズ(82−83)ーカンザスシティ・ロイヤルズ(83)=22年

【通算】
777試合 690先発 303完投 53完封 314勝265敗11セーブ 5350.1回
3534奪三振 1379四球 防御率3.11

【タイトル】
サイヤング賞2回(1972、78年) 最多勝3回(70,72,78年) 最高勝率1回(78年)
オールスター5回(66,70,72,74,79年)