Players Choice No.6


Tom Seaver(トム・シーバー) 投手 右投げ右打ち


Gorge Thomas Seaver

トム・シーバー

1944年11月17日生まれ カリフォルニア州フレスノ出身

1966年にドラフト1位でアトランタ・ブレーブスに指名されたものの、NCAA規定(大学選手
契約条項)違反で、コミッショナーから無効とされて、改めて抽選し直した結果、ニューヨーク・メッツに
入団することになった。

翌67年に、はやくも大リーグに昇格して、16勝(リーグ5位)、防御率2.76で見事新人王に輝いた。
’69年には25勝7敗、2.21で勝利数、勝率.781、被打率.207の3部門で1位となり、初のサイヤング
賞を獲得して、さらにチームは「ミラクル・メッツ」として世界一に輝いた。

大リーグデビュー以来、防御率は2点台をキープしていて、70年4月22日のパドレス戦で10者連続三振
と19奪三振の快挙を達成し、この年は防御率2.81、奪三振282の2部門で1位となった。

翌71年には、防御率1.76、奪三振289の2部門で2年連続の1位となった。
72年も21勝して防御率2.92、73年は19勝で防御率2.08(1位)で2度目のサイヤング賞を手に入れた。

73年には初めて防御率が3点台になったものの、翌年からまた2点台を続けていく。
75年、22勝で最多勝のタイトル、防御率2.38で3度目のサイヤング賞を受賞する。

全盛時のシーバーはライジング・ファーストボールといわれた、手元で浮き上がる球と
逆に手元で沈むシンキング・ファーストボールを使い分けて三振の山を築いていった。
ですが、シーバー本人は「投手で一番大切なものは安定性である。」と語っていて
確実にアウトをとることを第一にしていた。

球団フロントとの対立から77年途中にシンシナティ・レッズへ移籍するが、この年に
2球団で合わせて21勝6敗、防御率2.58をマークした。
78年6月16日の対セントルイス・カージナルス戦で自身初となるノーヒット・ノーランを達成したが
この時はかなりシンカーをまぜていたということである。
この年、10度目となる1シーズン200奪三振も記録している。

81年の変則シーズンを前期、後期とも7勝1敗でトータル14勝2敗、2.55で3度目の最多勝と
最高勝率のタイトルをとった。
翌82年は大リーグキャリア16年目にして初となる1ケタ勝利(5勝13敗)に終わってしまい、
オフにメッツに再び移籍することになった。

復活を期した83年は9勝13敗、防御率3.55だったが、大リーグ26球団中25番目の勝率の
メッツで231回を投げぬき、貧打のために負けた試合が7,8試合もあり一応の復活したという
声は出ていた。

84年はFAの補償選手リストから漏れていたためにシカゴ・ホワイトソックスに獲得されてしまった。
だがこの年、15勝11敗 3.95でチーム1位の勝ち星をあげた。
翌85年は、40歳になりながら16勝11敗 3.17と年齢を感じさせない投球を披露してくれた。

86年は途中でボストン・レッドソックスに移り、若手投手陣の先生役としてプレーオフそして
”奇跡のシリーズ”といわれたワールド・シリーズまでチームは駒をすすめた。
だが、残念なことにシーバー自身の登板はなかった。そしてこの年限りで現役を引退した。

通算16回の開幕投手をつとめた「頼りになる男」それがトム・シーバーだった。
引退後、1992年有資格初年度で98.8%の投票率で殿堂入りをはたした。

ニューヨーク・メッツ(1967−77年)ーシンシナティ・レッズ(77−82)ーニューヨーク・メッツ(83)
ーシカゴ・ホワイトソックス(84−86)ーボストン・レッドソックス(86)=20年

【通算】
656試合 647先発 231完投 61完封 311勝205敗1セーブ 4782.2回 3640奪三振
1390四球 防御率2.86

【タイトル】
サイヤング賞3回(1969、73、75年) 新人王(67年) 最多勝3回(69,75,81年)
最高勝率3回(69,79,81年) 最優秀防御率3回(70,71,73年) 
最多奪三振5回(70,71,73,75,76年) オ−ルスター12回(67〜71、75〜78、81年)