1940.3.6生〜2001.4.9没 オクラホマ州アールズボロ出身
打席でせわしなく動き、不思議なタイミンクの取り方をした「パップス」。
あの広いドジャースタジアムて場外本塁打を2発も放ったのは
このスタージェルだけというパワーも持ち合わせた人気者だった。
1964年にピッツバーグ・パイレーツのレギュラーに定着する。
66年に打率.315(自己最高)、33本塁打、102打点をあげスター選手の仲間入りをする。
71年、48本塁打で初の本塁打王を獲得し、打点125はリーグ2位だった。
73年には44本塁打て2度目のタイトルと119打点で2冠王となった。
外交的な性格でファンから愛され、慈善事業にも積極的に取り組むなど人格者でもあった。
チームメイトからは「パップス(父ちゃん)」と呼ばれ、信頼は厚かった。
39歳になった79年には、6年ぶりとなる30本塁打以上(32本)を放ち、
無冠ながら優勝したチームの柱としての活躍が認められてリーグMVPを獲得した。
迎えたシンシナティ・レッズとのプレーオフでは、レッズをスイープ。
「パップス」は打率.454、2本塁打、6打点でプレーオフMVP。
さらに、ボルティモア・オリオールズとのワールドシリーズでも打棒は衰えず
最終第7戦で決勝2点本塁打を放つなど、4勝3敗で8年ぶりの世界一に。
打率.400、3本塁打、7打点でシリーズでもMVP。
珍しい、1シーズン3度のMVPに輝く最高のシーズンとなった。
ですが、さすがの「パップス」も年齢には勝てず、特に脚の衰えは隠せず、
晩年は代打要員としてチームを支えました。
82年を最後に引退。コツコツと打った本塁打は475本になっていました。
パイレーツ一筋で過ごしてきた「パップス」は、人気者らしく、
満員のスタンドの全てのファンからの大スタンディングオベーションの中、静かに球場を後にした。
2001年に死去。なんとも残念だった。
ピッツバーグ・パイレーツ(1962−82)=20年
【通算】
2360試合 7927打数 2232安打 423二塁打 55三塁打 475本塁打
1540打点 17盗塁 1195得点 937四球 1936三振 打率.282
【タイトル】
MVP1回(1979年)、本塁打王2回(1971、73年)
打点王1回(1973年)、オールスター7回(1964〜66、71〜73、78年)
1988年 野球殿堂入り